テイラー・スウィフトはなぜ成功したのか?[マーケティング徹底解説]

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激動の21世紀音楽シーンにおいて最も成功したアーティストはテイラー・スウィフトである、という意見に異論を唱える者はいないだろう。巨大な商業的成功ゆえに、その音楽のみならず、ソーシャルメディアを使った巧みなデジタル戦略などビジネスやマーケティングの面でも注目されている稀有なアーティストである。海外ではビジネス系メディアやマーケ系・テック系ブログで取り上げられることも珍しくない。試しに「taylor swift marketing」で検索してみると、数多くの記事がヒットすることでも分かる。

21世紀においてカントリーがトレンドの中心になったことがないにも関わらず、カントリーを出自とするテイラー・スウィフトが最大の成功者になったのは非常に面白い現象である。そこには音楽の良さ以外に、市場とアーティストを繋ぐマーケティング力学が少なからず働いていたはずだ。

しかしここ日本では、音楽的なバックグラウンドと海外音楽市場の特性を紐づけてマーケティング視点から分析したようなテイラー・スウィフトの記事を見る機会は皆無に等しい。

そこで今回、素人音楽ブロガーである私が、ビジネス視点のテイラー・スウィフト分析に挑戦してみた。目的はテイラー・スウィフトのデビューから最新作『Reputation』に至るまでのマーケティング戦略の総括である。音楽に詳しくない一般のビジネスマンでの学びになるよう、書き方は配慮した。

私自身は、2008年『Fearless』でテイラー・スウィフトと出会い、以降、新作はリリース日に必ずチェックしているがライブには行ったことがない、という程度のファンである。そのため熱烈なファンからはお叱りを受けるような内容が含まれているかもしれない。しかしだからこそ過剰な思い入れを持たず、客観的なことが書けるのではないかと思っている。

執筆にあたって海外の記事など数多くの情報に目を通したが、仕事の空き時間にコツコツと書いた記事なので、完璧ではない部分もあるだろう。事実関係で誤りがある場合にははてなブックマークのコメント欄、もしくはツイートなどで連絡いただけると幸いである。確認次第、速やかに訂正させていただく。

記事は6万字を超えるものになった。一気に読むにはなかなか辛い量ではあるので、ブックマークして小分けに読むことをオススメする。また最後に「テイラー・スウィフトから学べる12のこと」をまとめている。忙しいビジネスマンはまずこちらから読んでいただいてもよいだろう。

  1. マーケティングの基本理論
  2. テイラー・スウィフトとカントリー
  3. テイラー・スウィフトの強み
  4. 導入期:カントリー攻略の基本戦略
  5. 戦略を支えたマーケティング・ギミック
  6. カントリーシーンにおけるライバル
  7. 成長期:ポップ市場の制覇
  8. カントリーの限界
  9. 成長期の集大成『Speak Now』
  10. 成熟期:ポップアーティストへの脱皮
  11. 完全ポップ化とカントリーからの離脱
  12. 際立つソーシャルメディア活用術
  13. 音楽ストリーミングとの対決
  14. 過去を殺した『Reputation』
  15. テイラー・スウィフトは衰退期に入ったのか
  16. テイラー・スウィフトから学べる12のこと

1. マーケティングの基本理論

解説を始める前に、文中で引用するフレームワークや理論を先に紹介しておこう。

まず、本エントリーの基本構造はプロダクトライフサイクル理論(Product Life Cycle)をベースとしている。この理論の起源は1980年代のアメリカン・モーターズ(AMC)にある。競合との熾烈な開発競争の中、より戦略的・効率的にR&D投資を意思決定するために発明されたモデルと言われている。この成り立ちにあるように、本来は製品やサービスに用いられる理論であるが、製品カテゴリや製品ブランドに対して用いられることもある。

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テイラー・スウィフトは当然ながら人であり、製品ではない。ただし「テイラー・スウィフト」という名の音楽ブランドであり、アルバムや楽曲は製品と捉えることはできる。本エントリーではその考えに基づいてプロダクトライフサイクル理論を適応している。(余談だが、アーティストやジャンルの伸長と衰退を構造的に理解するのに、プロダクトライフサイクル理論は非常に便利なフレームワークである)

また、本エントリーにおけるマーケティングの定義も明らかにしておこう。実はマーケティングという用語には正式な定義がない。ただ漠然とした共通認識だけが存在しているが、それも時代によって変遷している。かつては「売るための仕組み作り」などといわれたが、私は「顧客と良好な関係を作るためのすべてのこと」という定義が相応しいと考えている。これを図式化すると、以下の流れの中にあるすべての行為がマーケティングに含まれる、ということになる。

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アーティストや音楽ライターなどはしばしば、プロモーション活動や広告戦略のことを「マーケティング」と呼んでいたりするが、これは誤りである。それらはマーケティングの一部に過ぎない。マーケティングはより大きな概念であり、顧客との関係を構築するための戦略的なシステムや取り組みのすべてを包括するものである。さらに、マーケティングブランディングが別個に、あるいは対立的に扱われることもあるが、これも間違いである。ブランディングもまたマーケティングの一部である。

アーティストや音楽ファンの中には、マーケティングはアーティストの作家性を奪うものであり、「魂を売り渡す行為」とネガティブに解釈する人がいるが、これも大きな間違いである。マーケティングを駆使すれば、その音楽を必要とする人と出会い、良好な関係を築き、必要な情報を的確に送り届けることができるようになる。

つまり、マイナーで作家性が高くファンを見つけにくいアーティストほどマーケティングは重要である。マーケティングによって十分な経済基盤を構築できれば、アーティストはより長期間作家活動を続けることができる。マーケティングとはアート性や作家性を奪い取るものではなく、その活動を強力に支援するものである。

テイラー・スウィフトにとってのマーケティングも同様である。お金に魂を売り渡しているのではなく、市場ニーズと自らの創作意欲が交わるところを見つけ、より長い間創作活動を楽しむためにマーケティングを活用している。その活動を詳細に分析すれば、プロモーションや広告戦略だけをやっているわけではないし、「売るための仕組み作り」といった機械的な活動ではないこともわかる。現在のマーケティグの主流的ともいえる「顧客(ファン)と良好な関係を作るためのすべてのこと」という考え方に極めて近いことを実践している。

本エントリーで扱うマーケティングの定義もこの概念に従いたい。マーケティングを大きなものとして捉え、テイラー・スウィフトのこれまでの歩みをマーケティング視点から解剖していきたい。

他アーティストとの関係性の理解には、マーケティングの神様フィリップ・コトラーが1980年に提唱した伝統的なフレームワークである競争地位戦略を活用している。これは横軸に量的経営資源、縦軸に質的経営資源を設定した4象限でセグメントし、対象とする業界やセグメントにおけるポジションをリーダー、チャレンジャー、ニッチャー、フォロアーの4種類に分類したものである。

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現在取るべき戦略・戦術を業界ポジションから整理するために、ビジネスシーンでよく使われているフレームワークであるが、この理論は特定の音楽ジャンルやセグメントにおける各アーティストの戦略・戦術の妥当性チェックにも有効であり、本エントリーでも積極的に活用している。

また、テイラー・スウィフトのキャリアにおける成長戦略の理解にはアメリカの経営学イゴール・アンゾフが提唱した事業拡大マトリクスを用いている。

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これは縦軸に既存製品と新規製品、横軸に既存市場と新規事業を設定し、その4象限で事業の成長方針を分析するフレームワークである。1957年に提唱された非常に古いフレームワークだが、普遍性が高く、今でもマーケティングの現場では頻繁に用いられている。特に『Fearless』以降におけるアルバムを起点とした成長戦略の分析にこれを活用している。

このような伝統的かつ定番の理論を応用しながら、テイラー・スウィフトのキャリアに見られる音楽性の変遷を、市場合理性の観点から詳細に分析していきたい。

2. テイラー・スウィフトとカントリー

ペンシルバニア州の裕福な家庭で生まれ育ったテイラー・スウィフトの音楽キャリアは、カントリーミュージック(以下、カントリー)から始まる。アーティストがデビュー時の音楽性を決めるにあたり、トレンドを読んで戦略的に選択するケースもあるが、彼女がカントリーを選んだのは「幼少期にカントリーが好きだったから」という素朴な理由からだろう。

最初に大きな影響を受けたのは、97年『Come on Over』が全世界で大ヒットし3000万枚を売り上げたカナダ人カントリーシンガー、シャナイア・トゥエインと言われている。10歳で詞を書き、11歳でカントリーの本場ナッシュビルのレコードレーベルにデモテープを送り、14歳にはナッシュビルに移住し、RCAレコード会社の養成所と契約している。

このようにしてキャリアをスタートさせたテイラー・スウィフトマーケティングを紐解くには、当然ながら、カントリーについて一定の理解が必要である。

カントリーは、1920年代にアメリカ南部で生まれたとされている。やはり南部発祥のロックンロールが1950年代の誕生であるから、それより30年ほど歴史がある音楽といえる。ブルースが黒人音楽をルーツとしているのに対し、カントリーはフォーク、ウエスタン、クリスチャン音楽、ヨーロッパ音楽、バロック音楽など、白人音楽を主なルーツとしている。

日本人にとってカントリーとは、カーボーイ・ファッションに身を固め、アコースティックギター、スティールギター、フィドルバンジョー、ヴァイオリン、ハーモニカ、オルガンなどを用いた、西部開拓時代風の音楽と認識している人も多いだろう。 ディズニーランドのウエスタンランドで耳にするような音楽という印象があるかもしれない。しかし、現在のアメリカ音楽シーンにおけるカントリーの主流は、それとはやや異なっている。

元々は土着的な音楽だったカントリーが一大産業になったのが50年代である。デッカ、RCAコロムビアといったレコード会社が、テネシー州ナッシュビルで制作されたカントリーナンバーを「ナッシュビルサウンド」として売り出し、数多くのヒット曲が生まれた。こうしたカントリーの商業化・大衆化によりカントリーポップというサブジャンルが誕生した。テイラー・スウィフトに限らず、カントリーに属しながらポップミュージックとしても高い人気を誇るアーティストの多くは、このカントリーポップに属すると考えていい。カントリーの産業化と同時にナッシュビルはカントリーの聖地となり、カントリーで成功を目指すアーティストがナッシュビルに集まるようになった。

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70年代以降、カントリーは他ジャンルとのクロスオーバーが活発になる。80年代末にはガース・ブルックスが登場、アメリカ国内のみで1億枚以上を売り上げ、カントリーはさらなる巨大産業となった。と同時に、ポップミュージックとの境界はさらに曖昧になっていった。90年代に一世を風靡したシャナイア・トゥエインを聴くと「これはカントリーなのか?」と戸惑う日本人も多いだろう。しかしこういう音楽が、90年代以降のカントリーの主流である。この時すでに一定のキャリアを築いていたフェイス・ヒルも、90年代後半になるとカントリーとポップミュージックを行き来するような音楽性に変化していった。

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[PV] シャナイア・トゥエイン "You're Still The One"

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[PV] フェイス・ヒル "The Way You Love Me"

ポップミュージックのみならず、ロックとカントリーの境界も曖昧である。ボン・ジョヴィ、キッド・ロック、ミシェル・ブランチのように、本来はロックに属するアーティストがカントリーアルバムを制作した例もある。カントリーを構成する楽器も、スティールギターやフィドルバンジョーが必要なわけではない。カントリーにおける基本編成は、ヴォーカル、ギター、ベース、ドラムである。この点においてもロックとの相違がない。

このようにポップミュージックやロックとの境界が曖昧なカントリーだが、その特性の一つに「保守性」があげられる。カントリーにも様々なサブジャンルが存在するが、音楽的実験やサウンドの革新を目指すようなものは極めて少なく、シンプルな演奏でメロディアスな歌を聴かせるオーソドックスなアレンジの楽曲が多い。

思想面でも保守性が強く、それは時に愛国心とも結びつく。90年代に大規模な成功を収めたカントリーグループ、ディクシー・チックスのナタリー・メインズは、2003年にイラク侵攻を進めるジョージ・W・ブッシュを痛烈に批判したが、このことが愛国主義者を怒らせ、ディクシー・チックスは一時期強いバッシングにさらされた。彼女たちは後に劇的な復活を遂げるが、このように音楽性も思想もファン層も保守的なのがカントリーという音楽ジャンルの基本特性といえる。

3. テイラー・スウィフトの強み

テイラー・スウィフトのデビューアルバム『Taylor Swift』は2006年10月24日、16歳の時にリリースされた。

本作はBillboard のアルバムチャートであるBillboard200で初登場19位を記録、リリースから1年を過ぎた2008年1月19日に最高位の5位に到達し、通算277週在位するという、ロングセールス型のチャートアクションを見せた。BillboardのトップカントリーチャートでもNo.1を記録。デビューにしてカントリーの市場を制したことになる。本作はその後、2017年11月までにアメリカ国内だけで通算570万枚以上のセールスを記録している。これは以降のアルバムの大ヒットに引っ張られた上での累計セールスではあるが、正真正銘、歴史的な大ヒットアルバムといえる。

しかしテイラー・スウィフトのキャリアで驚くべきは、これが成功のピークではなく以降にさらなる巨大な成功を収め続けることである。デビューで大きな成功を収めるアーティストはしばしば登場するが、以降、セールスが下降することも珍しくない。ではテイラー・スウィフトはそういったアーティストと何が違うのか?音楽的資質にそれだけズバ抜けたものがあったのだろうか?彼女が作る楽曲には特殊な仕掛けが施されていたのだろうか?

実は私は、『Taylor Swift』というのは凡庸な作品であり、音楽以外の力も駆使した総力戦でここまで売れたと考えている。そしてこの戦い方こそが、デビュー以降もテイラー・スウィフトが商業的成長を続けることができた大きな理由ではないかと考えている。

『Fearless』 でテイラー・スウィフトを知ったのち、デビューアルバム『Taylor Swift』に遡って聴いた時の私の印象は「至って普通」であった。この印象は今でもあまり変わらない。何かが欠落しているわけではない。ソツなく無難にまとまっている。なんとなく聴いていれば心地よく聴ける。ただし際立った音楽的な特徴もあまり感じない。カントリーという音楽がそもそも保守的なため、当たり前といえば当たり前ではあるが。

私はテイラー・スウィフトの声と歌いまわし、言葉の選び方の妙による語感に魅力を感じている。しかしそれが唯一無二の魅力とは思わない。例えばその声は、初めて聴いたときは真っ先にヴァネッサ・カールトンを思い出し、ヒラリー・ダフにも似ていると感じた。つまり、アメリカのポップミュージックシーンにおいてはしばしば聴くタイプの声である。

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[PV] ヴァネッサ・カールトン " A Thousand Miles" 

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[PV] ヒラリー・ダフ "So Yesterday"

ライブ音源を聴くと分かるように、彼女はプロのシンガーとしては特別歌唱力に優れているわけではない。個人的には、彼女は歌の才能よりはソングライターとしての才能の方が傑出していると感じるが、この時点でそれが開花していたかは疑問である。これらの評価は私の主観ではあるが、海外のレビューにおける否定的な意見には似たようなことが書かれていることもあり、同様に感じるリスナーは一定数存在すると考えられる。

主観的な印象だけでなく、デビュー時期の彼女の能力については疑問を感じる事実がいくつかある。一つは外部ライターの存在である。『Taylor Swift』において、テイラー・スウィフト単独で書かれた楽曲は3曲しかなく、ほとんどの曲がリズ・ローズというソングライターとの共作である。 2人はRCAレコードの養成所で出会っている。リズ・ローズは当時30代半ばであったが、テイラー・スウィフトを手掛ける前に作曲活動での目立った成果はなく、テイラー・スウィフトとの仕事で有名になる。

テイラー・スウィフトとリズ・ローズ がどのような役割分担で楽曲を作り上げたのか、その詳細は定かではないが、『Taylor Swift』が凡庸ながらも手堅くそれなりに聴けるアルバムになっているのは、 10代半ばのテイラー・スウィフトを巧みに導いたリズ・ローズの功績が大きいとも考えられる。

テイラー・スウィフトの才能がこの時点で開花しきれていなかったというのは、デビューの経緯からも推測できる。RCAレコードの養成所と契約していた当時15歳の彼女は自作の曲による速やかなプロデビューを希望したが、他のソングライターの曲を使用すること、デビューを18歳まで待つことを方針として打ち出す。それ以前にもプロデビューのための交渉を様々なレコード会社と行ったが、いずれも若すぎるという理由で断られたようである。

この逸話はRCAをはじめとする大手レコード会社に先見の明がなかった話として語られるが、多くのプロミュージシャンを世に送り出している大手レコード会社がこぞって「まだ早い」と思うほどに、テイラー・スウィフトは未熟だったとも考えられる。

結局彼女は、自身を支援する両親とともに養成契約をしていたRCAレコードを離れ、大手レコード会社ドリームワークスレコードの重役だったスコット・ボーケタが立ち上げた新興レーベル、ビッグマシーンレコードの第一号アーティストとして契約する。

この逸話もまた、ダイヤの原石であったテイラー・スウィフトを発掘したスコット・ボーケタの先見の明のように語られるが、真相はどうだろうか。

スコット・ボーケタはビッグマシーンレコード立ち上げにあたって資金調達を行う必要があった。その時にアプローチをしたのが、愛娘のデビューを熱望していたテイラー・スウィフトの両親であった。契約後に、テイラー・スウィフトの父親はビッグマシーンレコードに出資し3%の株式を取得している。つまりスコット・ボーケタはテイラー・スウィフトの才能に惚れ込んだのではなく、デビューと引き換えの資金調達が目的だった可能性もある。もちろんせっかく契約するのであればできるだけ成功させようという気持ちはあっただろうが、一方でこれほどまでの成功は期待していなかったかもしれない。

なお、『Taylor Swift』のプロデュースは主にネイサン・チャップマンが担当している。彼はその後も『1989』までのすべてのアルバムをプロデュースし、グラミー賞を始め多くの賞を受賞しているが、実は彼の初プロデュース作品がこの『Taylor Swift』である。スタジオアルバム未経験の彼をプロデューサーに抜擢したのは、テイラー・スウィフトの強い意向だったと言われている。資金も人脈も豊富とは言い難い状況で、実績よりは相性を優先し、なんとかやりくりしながらチーム編成していったことがうかがえる。

このように、実績のない新米プロデューサー(当時29歳)、できたてでお金がない小さなレコードレーベル(設立1年)と1年生社長(当時43歳)、無名の先輩ソングライター(当時37歳)、そして容姿端麗で声は良いがプロとしてはそれほど歌が上手いわけでもないお嬢様シンガー(当時16歳)、といった漫画のようなデコボコチームのもと、チーム「テイラー・スウィフト」が結成された。そして生み出された最初のプロダクトが無難で凡庸な仕上がりの大ヒット作『Taylor Swift』というわけである。ビジネス視点で見るならば、テイラー・スウィフトのキャリアで一番面白いのはこの時期でもある。

4. 導入期:カントリー市場攻略の基本戦略

導入期のテイラー・スウィフトの戦略を深く追跡する前に、アメリカ音楽シーンの基本構造を整理しておこう。図示すると、以下のようなものである。

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構造としては、ポップミュージックという最大のマーケットがあり、その周囲にセグメントされたジャンル別のマーケットが広がっている。実際にはポップミュージックと各ジャンルの境界は曖昧であり、各ジャンル内での成功がポップミュージックとしての成功に直結することも多い。特に各ジャンルのリーダーにまで上り詰めると、ポップミュージックのニッチャーとして扱われるようになることもある。また図は簡略化したものであり、これ以外にもブルースやクラシック、クリスチャンミュージックなど多種多様なジャンルが存在している。このように実際の市場構造は大規模かつ複雑に入り組んだものではあるが、分かりやすく構造化するとこのようになる。

また、この構造と相関するようにBillboardではジャンル別のチャートが多数用意されている。以下は、上記の図と対比するように配置された、Billboardにおけるジャンル別のアルバムチャートである。

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Billboardは最新の聴取動向も反映した複雑なアルゴリズムでチャート順位を決定しており、特定プラットフォームへの偏りも少なく、上記以上も含めて丁寧に細分化されたチャートを提供している。チャート至上主義はいつの時代も批判されがちだが、アメリカ市場における商業的パフォーマンスを測る手段として、Billboardは未だに最も信頼できる指標になりうるといえる。

話を音楽シーンの構造に戻そう。この基本構造において最も堅実なのは、各ジャンルで話題になってからポップミュージックでの成功を目指すシナリオである。オルタナティブロックから音楽性を変えて世界的なアーティストとなったコールドプレイ、ハウスからメジャーになったダフト・パンクなどはこのパターンであるといえる。往年のアーティストでいえば、ソウルミュージックを出自とするマイケル・ジャクソンもこのタイプといえるだろう。

一方、特定のジャンルでファンベースを築かず、いきなりポップミュージックのど真ん中で戦うシナリオもある。この場合の音楽性はその時点のトレンドから選択される。テレビのオーディション番組などで元から知名度がある、大手レコード会社がバックアップしている、などの条件下でこのシナリオが可能になる。

オーディション番組で活躍しデビュー前から十分な知名度を誇ったケリー・クラークソンやワン・ダイレクション、グループ時代の人気を活かしてソロになったビヨンセ、レコード会社の肝入りでデビューしたケイティ・ペリーレディ・ガガなどはこのパターンと言える。昔のアーティストでいえばマドンナやシンディー・ローパーもこのタイプだ。

またポップミュージックにはいかず、セグメントされたジャンルの中に留まりながら成功を収め続けるシナリオもある。特にヒップホップやレゲエ、ヘヴィメタルなど、それだけで巨大な市場が確立しているジャンルでは、このシナリオでも十分な成功が見込める。この場合、ヒットチャートの上位にはランクインするが、ファンベース自体はそのジャンルに留まったものとなる。ヒップホップでいえばジェイZやケンドリック・ラマー、レゲエでいえばショーン・ポールヘヴィメタルでいえばメタリカなどはこのタイプといえるだろう。当然マーケットが大きいカントリーにもこのタイプのアーティストはいる。

さて、このような基本的な市場構造の中、巨大レコード会社のバックアップも特段の知名度もない弱小チーム、テイラー・スウィフトがまず目指したのは、セグメントされたカントリーマーケットにおける成功だったはずである。このチームは見事にそれをやってのけるわけだが、その最大の原動力となったのは音楽ではなくマーケティング戦略だったのでは、というのが一貫する私の見方である。

冒頭でフィリップ・コトラーの競争地位戦略の説明をした。再掲すると以下であるが、駆け出しのテイラー・スウィフトがカントリーを攻略するにあたって、このいずれの戦略が妥当だっただろうか。

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デビュー時のテイラー・スウィフトは無名の存在である。そのためいきなりリーダー戦略を取ることはできない。またリーダーと対峙するチャレンジャーも知名度やブランドが確立していないと難しい。となると、著名アーティストに似せたフォロワーか、他アーティストがいない領域を狙うニッチャーが現実的な選択肢となる。結果的に彼女が選んだのはニッチャー戦略である。それは音楽性と年齢でセグメントすると見えてくる。

カントリーは、比較的年齢層の高い音楽ジャンルである。テイラー・スウィフトの登場によって低年齢層と女性ファンが飛躍的に増加したが、元々は男性が多く、ファンの平均年齢も40代という高年齢の傾向にあった。テイラー・スウィフトには、カントリーを聴いていたことで同級生にいじめられた、という少女時代の逸話がある。どの程度深刻ないじめだったか定かではないが、少なくとも10代の女の子がカントリーを聴くことが珍しかったことを物語ってはいる。

男性優位×高年齢の傾向アーティストも同様である。カントリーにおいて女性アーティストは少数派である。また、ポップミュージックでは10代や20代のデビューは珍しくないが、カントリーにおいては少なく、30代になってからのデビューやブレイクも多い。

このような市場特性を踏まえ、『Taylor Swift』リリース前の2004年~2006年ごろに新作アルバムをリリースしたカントリー系女性アーティストを年齢と音楽性で並べた、以下のような図を作成した。

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やはり、年齢は30代以上に偏っていることが分かるだろう。20代のアーティストも存在するが、テイラー・スウィフトの16歳というのは明らかに突出している。過去に遡ると、リアン・ライムスは1996年、13歳の時にアルバム『Blue』を発表してデビューしているので前例がないわけではないが、ティーンならでは恋愛を歌った16歳の女性カントリーシンガーは、間違いなくニッチな存在である。そしてこの圧倒的な若さに音楽性を対比させると、面白い構図が見えてくる。

上記表の左右は、音楽性の違いを表現している。伝統的なカントリーに近い音楽性のアーティストを右側に、カントリーは控えめでポップやロックに近い音楽性のアーティストを左側に配置している。音楽性の基準にしているのは、2006年の直近にリリースされたアルバムである。例えば1998年の『Faith』以降、ポップ色の強いアルバムをリリースしていたフェイス・ヒルは、2005年のアルバム『Fireflies』でカントリーに回帰した。そのため上記表ではトラディショナルに配置している。

90年代以降のカントリーはポップ化が著しく進み、シャナイア・トゥエインのようにポップミュージックと区別がつかないようなアーティストも多い。2006年のカントリーシーンを席巻していたキャリー・アンダーウッドのデビューアルバム『Some Hearts』はカントリー史上最速で500万枚に到達する大ヒット作となったが、これもポップあるいはロックが強いカントリーであった。特に20代の女性カントリーシンガーは、ポップミュージックとの境界が曖昧なカントリーを選択する傾向にある。

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[PV] キャリー・アンダーウッド "Before He Cheats"

一方でディクシー・チックスのように、ポップやロックの影響を受けながらも、トラディショナルなカントリーミュージックのフレイバーを色濃く残すタイプのアーティストも存在する。こちらの方がより古典的、牧歌的で、素朴さを残したサウンドになる。このようなサウンドは、30代以上の女性シンガーが選択する傾向にあるといえる。

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[PV] ディクシー・チックス "Cowboy Take Me Away"

『Taylor Swift』に関しては、メロディラインなどにポップな印象を強く感じさせるが、サウンド的にはトラディショナルに寄っている。シャナイア・トゥエインをルーツとしながらも、音楽性の面ではディクシー・チックスに近く、それをより瑞々しく繊細にした印象である。決してポップやロックには寄り過ぎず、スティールギター、フィドルバンジョー、ヴァイオリンなど、カントリーらしさを際立たせる伝統的でアコースティックな楽器の音色が耳に残る、素朴なサウンドになっている。

このような音楽性の選択は、テイラー・スウィフトのニッチャーとしての性質をより際立たせることになった。上記の表で分かるように、テイラー・スウィフトと同じ領域のみならず、隣接する領域にすら誰もいない状態となっている。カントリーにおいて少数派の女性で、かつ滅多に登場しない10代が、今風ではなく伝統的なカントリーを歌うというのは、音楽的に革新的で目立ったことがしにくい保守的なカントリーシーンにおいて、際立った個性の一つになったことだろう。

実は『Taylor Swift』収録曲のうち、"Teardrops On My Guitar"にはラジオ向けにミックスを変えたポップバージョンとインターナショナルバージョン、"Should've Said No"、"Our Song"にはインターナショナルバージョンという、ミックス違いが存在している。これらはいずれも、カントリーテイストが希薄でポップロックのようなアレンジになっている。このようなバージョンが存在するということはおそらく、『Taylor Swift』のサウンドを決めるうえで、ポップやロックとの区別が曖昧な方向性も検討されていたのではないだろうか。

ロックに近づけたサウンドの方が当時のトレンドでもあり、ポップミュージックの市場も視野に入れると、売りやすかったはずである。しかしそれを選択せず、あえてトラディショナルなサウンドを選択したのは、堅実に慎重にカントリーマーケットを取りに行ったからなのだろう。「堅実・慎重な選択をしたら差別化になった」というのは、テイラー・スウィフトのキャリアによく見られる傾向だが、デビュー時においてもこれが功を奏し、音楽そのものに際立った特徴がないにもかかわらず、『Taylor Swift』は大ヒットアルバムとなった。

5. 戦略を支えたマーケティング・ギミック

『Taylor Swift』 の戦略は自身の強みとマーケット特性が交わるスイートスポットを見極めた巧みなものであったが、しかし若さとトラディショナルなサウンドだけでビッグセールスを記録できるほど音楽市場は甘くない。当然のことながら、『Taylor Swift』および同時期のテイラー・スウィフトには、セールスに繋がる数多くの仕掛けが施されており、これらの総力戦で『Taylor Swift』は成功した。

ここまであまり触れなかったが、テイラー・スウィフトの最強の武器はなんといってもビジュアルであろう。178cmの長身、 青い瞳、ブロンドのカーリーヘアーは、男性以上に、同世代のティーンからの羨望を集めるビジュアルであった。シャナイア・トゥエインやフェイス・ヒルも、美しいビジュアルを武器にしており、そのこと自体は珍しいことではないが、それでもテイラー・スウィフトのファッションモデルのような、カントリーには似つかわしくない都会的で洗練されたビジュアルは異彩を放っていたはずだ。

『Taylor Swift』の収録曲からは、"Tim McGrow"、"Teardrop On My Guitar"、"Picture To Burn"、"Our Song"のミュージックビデオが作られたが、いずれ顔や唇にフォーカスしたカメラワークが多い。シーンに合わせてドレス、デニム、カジュアル、ロック、セクシーとファッションの方向性も使い分けがなされている。この時点では豊富な資金力があったわけではないことはビデオの作りからも伺える。そんな中でも、テイラー・スウィフトのビジュアルが最大限活かせるよう工夫されている。当時はまだYouTubeFacebookも普及していなかったが、このビジュアルはネット上のコミュニティでも話題になったと推測できる。

今となってはテイラー・スウィフトの十八番となっているネット戦略だが、この時点でもその片鱗がうかがえる。1989年生まれのテイラー・スウィフトは物心がついたころにはインターネットがあったデジタルネイティブであり、デビュー前からプライベートのMySpaceアカウントを持っていた。そして当然のようにデビューと同時にオフィシャルのMySpaceを立ち上げている。これは保守的で年齢層が高いカントリーシーンでは先駆けといえるものであった。

この時期のマーケティング活動の中には奇策も含まれている。それがアルバムに先駆けてリリースされたシングル"Tim McGrow"である。

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[PV] テイラー・スウィフト " Tim McGrow "

この曲は、別れた男性がティム・マグロウのファンであったことについて歌われた失恋の曲である。著名アーティストの名前をタイトルに冠する楽曲は洋楽では珍しくないが、" Tim McGrow "はより戦略的である。これは影響力のある人物の知名度を利用したマーケティング施策の一つでもある。大手レコード会社のバックアップもなく、特にタレント活動もしていなかったテイラー・スウィフトのデビューアルバム『Taylor Swift』が発売初週で40,000枚を売り上げ、Billboard 200のアルバムチャート19位にいきなり登場したのは、"Tim McGrow"作戦の影響が大きかったのではないだろうか。

ティム・マグロウは、1993年から13枚のアルバムをリリースし、うち10枚がカントリーチャートの1位に、50枚のシングルの25枚がカントリーのシングルチャートで1位を獲得している、カントリー界の超大物である。

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[PV] ティム・マグロウ "Live Like You Were Dying"

さらにティム・マグロウの妻もカントリー界の大物、フェイス・ヒルである。いうなれば、この2人はカントリーシーンにおける最高レベルのブランドである。そのティム・マグロウの名前をそのままシングルにしてデビューした16歳の容姿端麗な女性シンガーというのは、非常にキャッチーな存在である。

まず日頃ティム・マグロウをかけているカントリー系のラジオステーションが反応したはずだ。そしてティム・マグロウのファン、あるいはフェイス・ヒルのファンの中でも耳が早い人々から徐々にテイラー・スウィフトの名前が知られていった。そんな彼らが中心となり、ネット上のコミュニティなどを通じて話題が波及していったことは想像に難くない。

ティム・マグロウはテイラー・スウィフトを気に入り、2007年のティム・マグロウとフェイス・ヒルのジョイントツアーのオープニングアクトテイラー・スウィフトが抜擢された。その後、所属レコード会社とのトラブルに見舞われたティム・マグロウは、2012年からはテイラー・スウィフトを見出したビッグマシーンレコードに移籍し、2013年のアルバム『Two Lanes of Freedom 』に収録の"Highway Don't Care"で、テイラー・スウィフトとのデュエットを実現させている。

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[PV] ティム・マグロウ ft. テイラー・スウィフト"Highway Don't Care"

このように、年齢と音楽性を組み合わせたニッチャー戦略に、ビジュアルを活かした動画マーティング、黎明期のソーシャルメディアマーケティング、著名人のブランドに便乗する奇策を多彩に組み合わせて、テイラー・スウィフトと『Taylor Swift』は徐々に知名度を上げていった。弱小チームが頭を使って考え抜いた絶え間ない努力が身を結び、テイラー・スウィフトは一枚のアルバムでニッチャーからカントリーマーケットのリーダーに近い位置まで一気に昇りつめることに成功したわけである。

6. カントリーシーンにおけるライバル

このようにテイラー・スウィフトのデビューは華々しいものであり、凡百の新人アーティストではなし得ない成功を確かに収めたが、2006~2007年頃のカントリーシーンはテイラー・スウィフト一色というわけでもなかった。

まずシーンを賑わしていたのは、ディクシー・チックスの華麗な復活劇だろう。2003年のブッシュ批判からラジオでのオンエア拒否や出演するCMへのクレームなど 、カントリーシーン を始めとするアメリカの保守層からの強烈なバッシングを受け、自ら「私たちはカントリーに認められていない」と発言するほどに疎外されながらも、政治的発言とポリシーを貫き通した。そして2006年、名プロディーサーリック・ルービンの下で制作された『Taking the Long Way』をリリース。ラジオでのオンエアなどで変わらず制約を受けながらも、精力的なライブやブロガーを使ったプロモーションなどを駆使して『Taking the Long Way』は大ヒット。2007年のグラミー賞では主要4部門中3部門を制覇するほどの大復活劇を遂げた。

またこの時期のカントリーシーンを席巻していたのは、テイラー・スウィフトに先駆けること一年前にデビューしていたキャリー・アンダーウッドである。史上最速で500万枚セールスを達成したキャリー・アンダーウッドは、アメリカの人気オーディション番組『アメリカン・アイドル』シーズン4の優勝者である。圧倒的な歌唱力と美貌、そして当時21歳という若さから注目を浴び、デビューアルバムはいきなりカントリーチャートでNo.1、Billboard 200でもNo.2を記録する衝撃のデビューとなった。本作はグラミー賞アメリカンミュージックアウォードなどの数々の賞を受賞、ノミネートされ、最終的には137週在位するロングヒットとなり、現在までに通算800万枚を米国だけで売り上げている。

テイラー・スウィフトのデビューも並みの新人と比べれば華やかなものだったが、キャリー・アンダーウッドのデビューと比べるとやや見劣りするのは否めない。当時ルックスと若さをウリにしたキャリー・アンダーウッドがカントリーシーンを席巻していたがゆえに、同じくモデルのような見た目でさらに若い16歳のテイラー・スウィフトは、キャリー・アンダーウッドの人気にあやかってデビューしたシンガーのように思われたかもしれない。

デビュー時点ではキャリー・アンダーウッドの後塵を排していたテイラー・スウィフトではあるが、以降のキャリアはやや異なったものになる。以下は、テイラー・スウィフトキャリー・アンダーウッドのアルバムセールスの推移である。

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抜群の歌唱力と話題性とルックスで完璧なスタートダッシュを決めたキャリー・アンダーウッドは、2ndアルバムで初の全米No.1を獲得、その後3作連続No.1を獲得し、デビューから7年間にわたって4作連続でミリオンセラーを記録している。これはこれで偉大な記録であり、カントリー史に名前が刻まれてしかるべき素晴らしい功績である。しかし、テイラー・スウィフトはそれを上回る。1stアルバムこそ後塵を拝すが、以降は驚異的なセールスを記録し、驚くべきことに2014年の『1989』に至ってもまだセールスが上昇する。

このように比べるとキャリー・アンダーウッドがアーティストとして劣っているように感じるかもしれないが、そうではない。キャリー・アンダーウッドは紛れもなく大成功したアーティストである。それを圧倒的に上回るテイラー・スウィフトの成功は異常なのである。そしてその異常な成功を支えているのがマーケティングの力である。

7. 成長期:ポップ市場の制覇

絶対的No.1ではないが、デビュー作でほぼカントリーのリーダーになったテイラー・スウィフトが2ndアルバムで目指したのは、当然ながらカントリーを飛び越えてポップミュージックシーンでのリーダーになることであろう。つまり、ポップミュージックに市場を広げ、ポップミュージックのトップアーティストに対して、チャレンジャー、ニッチャー、フォロアーのいずれかの立場から攻略を始めるということである。

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デビュー作と環境は大きく異なっている。カントリーとポップミュージックとの市場の境界線は曖昧であり、カントリーシーンでの大きな成功は、ポップミュージックシーンでのある程度の成功と直結している。16歳の美しいカントリーシンガーが鮮烈なデビューを飾ったということは、カントリーのファンでなくともある程度耳に入っていただろう。

そのため、2ndアルバムを制作する時点でのテイラー・スウィフトには、音楽性に関して3つの選択肢があった。カントリーを維持しながらも、シャナイア・トゥエインやフェイス・ヒルがそうであったように、極限までポップ度を高めてポップミュージックとの区別が曖昧な音楽性に移行する選択肢。あるいはこの時点でカントリーを捨てて、完全ポップアルバムを作る選択肢。そして、成功した1stの延長線で行く選択肢。

テイラー・スウィフトのキャリアに一貫する特性は、堅実さと保守性である。そして2ndアルバムからのポップミュージックシーン攻略にあたってももっとも堅実な選択、つまり1stアルバムの延長線で行くことを選択した。カントリーらしいトラディショナルなサウンドは堅持したまま、裾野を広げるために、より甘く、よりポップに磨き上げた。ただし、ポップミュージックと区別がつかないほど曖昧な領域にはいかない。一聴してカントリーと分かる範疇には留める。こうすることで、カントリーで築いたファン層は堅持しながら、できるだけ新しいファン層を獲得することができる。実に堅実な戦略である。

これは冒頭で紹介したアンゾフの事業拡大マトリクスでいえば、既存製品(カントリー曲)を用いたまま、既存市場(カントリー)と新規市場(ポップ)を狙っていく戦略である。

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堅持したのは音楽性だけではない。制作メンバーも1stアルバムとほぼ同じである。プロデューサーは引き続きネイサン・チャップマンを起用し、ソングライティングにも再びリズ・ローズを起用している。ただし、2ndアルバムではテイラー・スウィフトの作曲能力にも飛躍的な向上が見られたのか、外部ソングライターの影響力は下がっている。1stアルバムでは単独クレジットが3曲だけだったのが、2ndアルバムでは7曲に増えた。

2008年11月11日、2ndアルバム『Fearless』がリリースされた。初週で60万枚近くを売上げ、キャリア初のBillboardアルバムチャートのNo.1を獲得。翌週はビヨンセ、その翌週はカニエ・ウエスト、さらに翌週はブリトニー・スピアーズの新作にそれぞれNo.1を明け渡すが、これら強豪を相手にしながら、その後再び2008年12月最終週にNo.1へ返り咲き、そこから怒涛の7週連続No.1を達成する。

2009年2月14日にはブルース・スプリングスティーンに1位を譲るが、2月28日には再び1位に返り咲き、そこからさらに3週連続のNo.1を記録。最終的には非連続で合計11週のNo.1を記録した。

21世紀に入り、このような支配的なチャートアクションを見せたアルバムは、2004年リリースのアッシャー『Confessions』(非連続で9週No.1)しか存在しない。しかも『Fearless』はこれをも上回っている。つまりこの時点で、21世紀で最も成功したアルバムおよびアーティストになったわけである。

2008年11月にリリースされた本作は、翌2009年だけで320万枚を売り上げ、2009年に最も売れたアルバムにもなった。さらにリリースから1年以上たった2010年1月時点でもチャートのTOP10に残り続けた。そして現在までにアメリカだけで710万枚以上を売り上げている。まさに世紀の大ヒット作である。既にカントリーで名を上げていた彼女の名前は、カントリーというジャンルを超えて、世界でもっとも有名なポップシンガーの仲間入りを果たした。ここ日本でも、テイラー・スウィフトを始めて聴いたのは本作から、という人も多いだろう。

テイラー・スウィフトのこの巨大な成功は、カントリーシーンを変質させた。それまでは40代、男性が市場のボリュームゾーンだったが、テイラー・スウィフトの成功によって10代~20代、女性のファンが増加した。レディ・アンテベラムやバンド・ペリーのようなフォロワーも登場し、カントリーにおける若年層向け市場が開拓された。「カントリーを聴いていたら同級生に馬鹿にされた」というテイラー・スウィフトが、ティーンが聴いても恥ずかしくないものにカントリーを変えてしまったわけである。

本作はなぜこれほどまでの成功を収めたのだろう。『Fearless』リリースに関するプロモーションの記録はあまり残っていないが、ここでも絶妙なポジショニングが功を奏したと推測される。つまり、彼女の保守的な戦略が、結果的にはポップミュージックシーンで競合するアーティストに対する差別化戦略として機能したというわけである。

先ほど紹介したアメリカ音楽シーンの構造について、ポップミュージックを中心によりフォーカスすると、以下のように表現できる。

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ポップミュージックシーンの音楽は、多様なジャンルが混ざり合っている市場である。そしてポップミュージックシーンで戦うアーティストは、その時トレンドとなっているジャンルを選択し、ポップにアレンジした音楽性で作品を作り上げる。その時代のトレンドを意識するため、時代とともに大きく音楽性を変えるのが特徴である。中央には「ポップ・オブ・ポップ」という領域がある。ここはもはやジャンルは関係なく、あらゆるジャンルをクロスオーバーした、ただ「ポップ」としか表現できない音楽性である。

この構図に、2008年~2010年頃にアルバムをリリースした、当時人気のポップミュージックシーンの主要女性アーティストをマッピングすると、以下のようになる。

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この頃はR&Bとロックが強く、その影響を受けたアーティストが多い。「ポップ・オブ・ポップ」に位置するアーティストもR&Bやロックの傾向が強い。このように勢力図を描くと、テイラー・スウィフトキャリー・アンダーウッドだけがカントリーに位置していることがわかる。さらにテイラー・スウィフトの方がトラディショナルなカントリーであり、ポップミュージックシーンにおいては差別化の度合いがより強い。そして当時18歳という年齢は、このポップミュージックシーンにおいても極端に若い。

つまりこの時期、ポップミュージックシーンでは、R&Bやロックが強い音楽性で競い合うアーティストが多い中、テイラー・スウィフトとぶつかり合う競合はほとんどいなかった。「10代の少女が歌う極めてポップだが素朴なカントリー」という音楽を好む層にとっては、テイラー・スウィフト以外の選択肢がなかった。カントリーではリーダーでありながら、ポップミュージックシーンにおいてはニッチャーとして機能していたわけである。導入期でカントリーシーンを攻略するときにも絶妙なポジション取りをしていたが、ここでも天性ともいえるポジショニングの妙を垣間見ることができる。

テイラー・スイフトの快進撃を支えたのは、当時急伸していたデジタル系のコミュニケーションツールをいち早く導入したこともあげられるだろう。残っている記録によれば、Facebookファンページは2007年11月に、Twitterは2008年12月に開始している。両サービスともキャズムを超えて一気に普及する直前の段階であり、保守的なカントリーというジャンルにおいてはかなり早い取り組みといえる。そしてこれら新興ソーシャルメディア以上にこの時期のテイラー・スウィフトの人気を後押ししたのは、おそらくYouTubeだろう。

テイラー・スウィフトは音楽だけでなく、ビジュアルが伴ってこそ魅力が最大化されるアーティストである。そんなテイラー・スウィフトにとってミュージックビデオとは自らの強みを最大限活かすことができるコミュニケーションツールである。MTVと異なり、いつでも好きな時に好きなミュージックビデオを観ることができるYouTubeは、テイラー・スウィフトにとっては戦略的最重要プラットフォームだったに違いない。

『Fearless』に先行して公開されたミュージックビデオは"Love Story"である。ロミオとジュリエットが登場する歌詞の世界観そのままに、中世ヨーロッパを思わせる古城で撮影されたドレス姿のテイラー・スウィフトが登場する。華やかで映像映えするテイラー・スウィフトのビジュアルを最大限活かしたミュージックビデオである。YouTubeの再生回数は年毎の細かな記録が残っていないが、2017年11月時点で"Love Story"は4億回以上再生されている。デビュー作『Taylor Swift』で制作されたミュージックビデオで最も再生回数が多いのが"Teardrops On My Guitar"の1億2000万回であることを比べると、この時期以降のミュージックビデオは再生回数が大きく増えていることが分かる。

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[PV] テイラー・スウィフト "Love Story"

続く"White Horse"ではテレビ俳優を起用し、やはり映画のようなミュージックビデオに仕上げている。本作の再生数は"Love Story"を下回るが、それでも現在までに1億3000万回再生されている。

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[PV] テイラー・スウィフト "White Horse"

そして人気を決定づけた"You Belong With Me"では、人気若手俳優のルーカス・ティルを起用し、テイラー・スウィフトは眼鏡をかけた地味な少女と、男性を振り回す派手な少女の2役を演じている。典型的なシンデレラストーリーのこのビデオは、10代女子の味方というテイラー・スウィフトのパブリックイメージを決定づけた。このビデオは現在までに7億7000万回再生されている。2009年に制作されたミュージックビデオとしては第3位の再生回数を誇り、翌年のMTVビデオアワードでは最優秀賞を受賞している。

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[PV] テイラー・スウィフト "You Belong With Me"

このように、デビュー作『Taylor Swift』で築き上げたカントリーシーンにおける基盤と、新たにポップシーンで注目を集めるための音楽性の微調整、ポップマーケットで競合するその他の女性アーティストとの巧みな差別化、そして動画やデジタルといった当時先端の技術や手法を駆使したマーケティングにより、2007年末から2009年までアメリカの音楽シーンはテイラー・スウィフトを中心に回っていった。1stアルバムでカントリーのリーダーに上り詰めたテイラー・スウィフトは、そのデビューからわずか2年で、ポップミュージックシーンの絶対的なリーダーにまで一気に上り詰めたわけである。

8. カントリーの限界

テイラー・スウィフトの成功の規模と推移を裏付ける面白いデータが存在する。それがGoogleトレンドのデータである。検索ボリュームの概数を時系列でレポーティングしてくれるこのツールで、アメリカ合衆国を対象として「Taylor Swift」の検索数をグラフ表示させると以下のようになる。

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最初の大きな山(1)は、2008年11月、つまり『Fearless』が発売された月である。テイラー・スウィフトは確かにデビュー作『Taylor Swift』から『Fearless』リリース前の時点で十分な知名度を得ていたが、『Fearless』によって桁違いの知名度を手に入れたことがよく分かる。またこれ以降の検索ボリュームの推移と比べると、『Taylor Swift』時点での成功はあくまでカントリーシーンの中に留まったものであったことも分かる。

このグラフをみると「Taylor Swift」の検索ボリュームは現在まで、アルバムリリースの間に落ち込む傾向はあるが、大きく目立った落ち込みがない。これは『Fearless』で確立したテイラー・スウィフトへの注目度が、過去10年間衰えることなく現在まで至っていることを物語っている。そんな中でも、キャリア最高の検索数を誇ったもっとも高い山(2)が、2009年9月に訪れる。かの有名な「カニエ・ウエスト事件」である。

2009年9月13日、MTV Video Music Awards 2009 でテイラー・スウィフトの"You Belong With Me"が最優秀女性アーティスト・ビデオ賞(Best Female Video)を受賞。しかしこの壇上でテイラー・スウィフトがスピーチをしている最中に泥酔したカニエ・ウエストが乱入。テイラー・スウィフトからマイクを奪いとって「ビヨンセのビデオが最高だ」と言い放った。呆然として言葉を失ったテイラー・スウィフトに世論は味方し、当時のアメリカ大統領であるバラク・オバマが「あいつは大バカ者だ」とコメントするまでに至った。

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[動画] Taylor Swift VMA Award Moment Ruined by Kanye West(※0:45あたり)

これは一般的にカニエ・ウエストの難しい人間性を象徴する事件として扱われている。しかしなぜカニエ・ウエストはここまで苛立ったのか。ビヨンセを認めることができて、テイラー・スウィフトを認めることができない理由は何なのか。

カニエ・ウエストが苛立った理由は、突き詰めれば黒人音楽と白人音楽の違いに収斂されるかもしれない。しかし中でも、テイラー・スウィフトの音楽やミュージックビデオが革新的なものではなかったことが、彼を苛立たせる大きな理由の一つだったのではないだろうか。

日本の音楽シーンだけ見ていると、ポップミュージックとは商業的な成功を主目的とし、過去に確立した成功率の高い手法を紡ぎ合わせた保守的な音楽と思うかもしれない。

確かに日本でヒットする音楽の多くは、マイナー調のメロディ、ハッキリしたサビメロ、お決まりの曲展開が多い。また過去に自身が確立した成功スタイルを踏襲し続け、ファン以外には似たような音楽をずっとやっているように聴こえるアーティストも多い。トレンドは海外である程度流行してから取り入れることが多く、成功したポップアーティストが自身の音楽性を変えてまで最新トレンドを先取りすることもない。音楽的挑戦はインディーズやロックなどの細分化されたジャンル内の一部で行われることであり、国民的な知名度を誇るメジャーなポップアーティストがその先頭に立つことはほぼありえない。

このような日本のポップミュージックシーンの特性は、アーティストやレコード会社側の問題というより、日本の市場特性に起因している。実のところ、ポップミュージックを消費する日本の音楽市場におけるマジョリティーは音楽性に興味がない。正確にいえば、非常に少数派である。多くの人の興味の対象は音楽性より歌詞である。しかしそれ以上に、どんなルックスか、どんなファッションか、テレビ番組やソーシャルメディアでどんな発言をするか、誰と仲がいいか、誰と付き合っているか、といったタレント性に関心が向かう。

例えば、安室奈美恵といえば日本人なら誰もが名前を知る、日本を代表する人気ポップアーティストである。しかも初期の成功の後に大きく音楽性を変更し、その上で第二の成功を手にした稀有なアーティストである。この安室奈美恵のキャリアを語る上で音楽性は重要なファクターのはずだが、安室奈美恵Wikipediaには音楽性に関する解説が非常に薄い。似たように国民的な人気を誇る他の女性ポップアーティストもほぼ似たような状況である。

一方、テイラー・スウィフトビヨンセレディ・ガガアリアナ・グランデなど、海外の人気ポップアーティストのWikipediaには、影響源や音楽的背景など、音楽性に関する濃い情報がそれなりの量で掲載されている。Wikipediaだけで音楽シーン全体の傾向を総括できないが、日本人では音楽性に関心が低く、それ故にアーティストもレコード会社も音楽性に関する情報発信を日頃からあまり行わず、だからWikipediaで音楽性に関する記述がほとんどない、という現象が起きているように思える。

ポップミュージックを好む日本の音楽ファンの多くは音楽を包括するタレント性を楽しみたいだけなので、音楽性の変化に関心を持たないし、それは作品のセールスポイントにならない。批判もしないが特に歓迎もしない。聴き馴染みのある定型的な音楽のほうが余計な抵抗なく自然に楽しめる。キャッチーで適度のメロウで過去に成功した曲と似たような音楽の方が、日本で音楽を売るには無難なのである。日本のヒットチャートには、アイドルやタレント、俳優など、音楽を本業としないアーティストが多数ランクインするが、これも音楽性ではなくタレント性で音楽が売れる日本市場の特異性を象徴しているといえる。

アメリカの音楽シーンは層が厚く多様である。そのため、変化の乏しい保守的な音楽もタレント性を楽しむタイプのリスナーも多く存在している。しかしポップミュージック=保守的とは限らない。欧米で成功したポップアーティストが音楽性を大胆に変化させることが珍しくない。ファンでなくても気付く大きな変化であり、ファンであっても「これ誰?」と分からなくなるくらいの大胆な変化である。

これは音楽性に関心を持つファンが多く存在し、音楽性の変化がアピールポイントの一つになるためである。トレンドに対しても自ら積極的に半歩先、一歩先のトレンドを取り入れるアーティストが多く、それでも商業的に成功する。音楽性のトレンドを先導し、最先端な音楽をキュレーションしながら商業的にも成功するというのは、ポップアーティストにとっては理想的なシナリオの一つになっている。

2010年代を象徴した音楽ジャンルであるEDMは、ブラック・アイド・ピーズがフランス人DJデイヴィッド・ゲッタをフィーチャーした”I Gotta Feeling”(2009年)のヒットが一つの引き金になっている。このブラック・アイド・ピーズはヒップホップからキャリアをスタートさせたアーティストであり、”I Gotta Feeling”は従来のファンを戸惑わせるほどの大きな音楽性の変化を伴うものであった。しかし結果的には大ヒットし、現在は彼らを代表する楽曲となっている。

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[PV] ブラック・アイド・ピーズ "I Gotta Feeling"

EDMのピークは2012年~2014年頃にあるが、2011年にはリアーナもそれまでのソウルやR&Bに根差した音楽性を変え、イギリス人DJカルヴィン・ハリスをフィーチャーしたEDMナンバー”We Found Love”をリリースしている。この曲はBillboardのシングルチャートで10週連続1位を記録し、アメリカ国内だけで500万ユニット以上売れる大ヒットとなり、EDMの商業的価値をさらに高めることになった。

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[PV] リアーナ ft. カルヴィン・ハリス "We Found Love"

日本ではソフトバンクのCMで大量オンエアされたジャスティン・ビーバーの”What Do You Mean?”も同様である。ポストEDMの最右翼とされたトロピカルハウスの影響を強く受けたこの曲は、2015年のベストポップソングとの評価も高く、ポップミュージックシーンにおいてトロピカルハウスが浸透する重要な役割を果たした。ジャスティン・ビーバーのようなアイドル的な性質が強いアーティストですら、音楽性のトレンドには敏感であり、積極的にそれを取り込もうとしている。

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[PV] ジャスティン・ビーバー ”What Do You Mean?”

このように、チャート常連の人気アーティストが、自らが過去に築き上げた音楽性に固執せず、トレンドを積極的に取り入れ、大衆に新しい音楽の魅力を伝えるキュレーターになるという構図は、アメリカのポップミュージックシーンの一つの特徴である。

一方、先ほど述べたように、人口3億人の多民族国家であるアメリカ音楽市場には、多様性という特徴もある。挑戦的なアーティストしかいないわけでもない。保守的だが商業的には成功しているアーティストも多数存在する。

『Fearless』の頃のテイラー・スウィフトも、後者のような存在である。この頃のテイラー・スウィフトの音楽は正真正銘カントリーであり、それ故に音楽的に挑戦的な姿勢はほとんど感じない。テイラー・スウィフトにおけるイノベーションとは、40代×男性中心のカントリーシーンに、10代×女性というセグメントを創出したこと、元々曖昧だったカントリーとポップミュージックの境界をさらに溶け合わせたことだ。しかし音楽性そのものに革新性は希薄で、甘くコーティングしただけのキャッチーなカントリーにすぎない。受賞対象となった”You Belong With Me”のミュージックビデオも、ありふれたシンデレラストーリーであり、独創的とは言い難い。

一方、カニエ・ウエストが推したビヨンセの”Single Ladies(Put A Ring On It)”のミュージックビデオは、モノトーンの映像でビヨンセが踊り続けるだけのシンプルなものである。シンプルであるが、それ故に最後まで目が離せない。CGなどを多用して演出過多に陥りやすいミュージックビデオというジャンルにおいて、主流の対極に位置する作品であり、よりクリエイティブでアーティスティックである。

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[PV] ビヨンセ ”Single Ladies(Put A Ring On It)”

ヒップホップの革新を目指し、型にはまらない音楽を追求してきたカニエ・ウエストからすれば、ポップミュージックの理想を求道するビヨンセを抑え、使い古された手法を踏襲しただけの甘ったるいカントリーを歌う10代の小娘が受賞することは、腹に据えかねるものがあったのだろう。

カニエ・ウエストはその後謝罪し、一時は和解したと思われていたが、カニエ・ウエストが2016年にリリースしたシングル” Famous”の一節「I feel like me and Taylor might still have sex Why? I made that bitch famous(オレとテイラーはまだセックスするかも。なぜかって?オレがあのビッチを有名にしてやったから)」で再び対立が激化。現在はカニエ・ウエストの妻キム・カーダシアンを巻き込んで、再び犬猿の仲となっている。

カニエ・ウエストのこの一連の騒動がテイラー・スウィフトのその後の音楽にどの程度影響を与えたかは定かではない。ただ、『Fearless』以降の大胆な音楽的変化を改めて俯瞰すると、商業的な成功を十分に収めながらも「ポップミュージックとしての革新」を渇望する姿勢が、テイラー・スウィフトの創作活動の原動力になっているように思える。それは言い換えれば、ポップミュージックシーンで生きていく上での「カントリーの限界」を知ったということではないだろうか。

余談だが、テイラー・スウィフトは日本での人気が抜群に高い洋楽アーティストであるが、これはタレント性を好む日本のマーケット特性との親和性が高いから、ともいえるだろう。長身でモデルのようなルックス、女性的で洗練されたファッション、セレブとの恋愛遍歴など、日本人が好むタレント性をテイラー・スウィフトは多く有している。また、強さよりも可憐さのイメージが強かったこの時期のテイラー・スウィフトは、日本人が好む女性タレントのステレオタイプにも比較的近い。

その一方でやはり日本のテイラーファンの多くは、音楽性そのものにはそれほど関心がない。『Fearless』を好きになったからといって、アメリカのカントリーを聴き漁るようなことはない。テイラー・スウィフトギャリー・ライトボディとデュエットしたからといってスノー・パトロールを聴いたりはしないし、ケンドリック・ラマーと共演してもケンドリック・ラマーのアルバムを買うことはない。

例えばSpotifyには「Songs Taylor Loves」というSpotify公式プレイリストが存在する。

open.spotify.com

成功を収めたポップアーティストは優れた音楽キュレーターでもある、というアメリカ音楽シーンの特性を象徴するプレイリストだが、当然ながら日本のテイラーファンの多くはこれに興味を示さないだろう。なぜなら日本のファンが一番関心を持っているのは彼女のタレント性であり、音楽はテイラー・スウィフトを楽しむためのサウンドトラックに過ぎず、その音楽性やバックグラウンド、音楽的ルーツには興味がないからである。

なお、誤解のないように補足しておくが、ここで書いたのはあくまで市場特性や傾向の違いの話であって、日本の方が劣っている/欧米の方が素晴らしい、といった優劣の話をしているわけではない。このような違いは、国民性や歴史、文化の流れを汲んだものであり、国や文化に優劣があるわけではないように、音楽自体に優劣があるわけではない。「邦楽と洋楽のどちらが優れているか」という議論は「和食と洋食のどちらが美味しいか」という議論と同じくらい馬鹿馬鹿しいものである。またこれは大きな傾向の話であり、当然ながら例外が存在することが前提の話である

9. 成長期の集大成『Speak Now』

巨大な成功をおさめ、名実ともにポップミュージックシーンのリーダー、トップアーティストとなったテイラー・スウィフト待望のサードアルバム『Speak Now』は、『Fearless』からほぼ2年後の2010年10月25日にリリースされた。テイラー・スウィフトのアルバムリリースサイクルはキッチリ2年で、巨大な成功を収めたアーティストとしてはハイペースかつコンスタントといえる。これもまた彼女の人気が衰えない理由の一つである。また、いずれの作品も10月末から11月初旬の年末商戦期にリリースしていることも特徴的である。

『Speak Now』は当然のようにBillboard 200で初登場1位を記録、一週目でアメリカ国内だけで100万枚を超えるセールスを記録した。この時点では、アメリカ人女性アーティストとしては、ホイットニー・ヒューストンブリトニー・スピアーズノラ・ジョーンズに次ぐ歴史的快挙を成し遂げたことになる。2週目は1­位を守ったものの3週目に陥落。ただし翌2011年の1月1日付のチャートで返り咲き、ここから4週連続1位を獲得している。テイラー・スウィフトのアルバムはこのように一度チャートから陥落しても復活することが多い。最終的に『Speak Now』は非連続で計6週の1位を獲得し、現在までにアメリカ国内で累計460万枚を売り上げている。

本作の成功要因として『Fearless』の余波というのは真っ先に挙げられる。特に発売初週の爆発的ヒットは『Fearless』で獲得したファンの期待値が表れたものである。とはいえテイラー・スウィフト自身も安易に『Fearless』のパート2を作ったわけではない。『Speak Now』においてはいくつかの変化と戦略的工夫を感じ取ることができる。

制作体制面では、クレジットから共作者が外れたのは一つの変化である。本作は現在に至るまでキャリア唯一のテイラー・スウィフト単独名義作品である。自ら曲を作り歌い続けてきたシンガーソングライターとしては念願のアルバムだったことだろう。とはいうものの、プロデューサーはネイサン・チャップマンを引き続き起用している。テイラー・スウィフトのソングライターとしての才能は『Fearless』で十分に開花していたことを考えると、共作者が外れたことはさしたる変化ではなかったともいえる。

サウンド面ではより変化を感じさせるものに仕上がっている。一聴して気付くのはロックへの傾倒だ。これは歴史的にはよくあるパターンだが、この時にテイラー・スウィフトが接近したのは30代以上をターゲットとするアダルトコンテンポラリーなロックではなく、オルタナティブロックであった。これは当時ティーンに人気があったエモの影響と思われる。エモとは90年代に生まれ、00年代に商業的に盛んになったパンクを祖とする音楽である。エモのピークはフォール・アウト・ボーイ『Infinity High』やマイ・ケミカル・ロマンス『The Black Parade』、パラモア『Riot!』などの大ヒットが続いた2007年~2008年ごろにある。

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[PV] パラモア "Misery Business"

『Speak Now』がリリースされた2010年ごろは既にエモは衰退期に入っていたが、『Speak Now』の制作開始時はエモの勢いはまだ強く残っており、本作にはその影響を感じさせる楽曲がいくつか存在する。例えばテイラー・スウィフトとしては異質な作風であるパンキッシュな”Better Than Revenge”は当時人気の女性ヴォーカルを擁したエモバンド、パラモアの楽曲のようでもある。

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テイラー・スウィフト "Better Than Revenge"

また、シリアスに迫るミドルテンポナンバーの”Haunted”もこの当時のエモバンドのバラードのようだ。”Sparks Fly”、”The Story Of Us”などの音作りもエレキギターが強くロック的な音作りをしている。スローナンバーの”Enchanted”、”Innocent”においても、カントリーらしさは希薄で、ロック系のバラードに近い。もちろん、オープニングの”Mine”や最終曲の”Long Live”などはカントリー的なナンバーだが、カントリーらしいアレンジは控えめともいえる。

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[PV] テイラー・スウィフト ”Sparks Fly"

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[PV] テイラー・スウィフト "The Story Of Us"

『Speak Now』においてロック色を強めたのは、当然ながら戦略的な色があってのことだろう。アンゾフの事業拡大マトリクスで表現するなら、以下のような戦略的な意図があったのではないだろうか。

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慎重なテイラー・スウィフトは、『Fearless』までに獲得したカントリーのファンを手放すようなことはしない。つまり、既存市場×既存製品のセグメントを現状維持することは既定路線である。その上でどうすれば新しいファン層を一人でも多く開拓できるだろうか。その解が「エモの影響を受けたカントリー」だったのだろう。

『Speak Now』のツアーでは、エモのパイオニアであるジミー・イート・ワールドやパラモアのヘイリー・ウィリアムスをゲストに迎えたり、フォール・アウト・ボーイの楽曲をカバーしたりしたショウもあった。このような事実からも、カントリーではない新しい市場として当時若者に人気だったエモのマーケットに目を付けていたというのは想像に難くない。

ただ、このようなロックへの傾倒は実のところ、この時期のポップミュージックシーンの流れからはやや外れている。この時期のトレンドは既にダンスミュージックに流れ始めており、ポップアーティストは脱ロックの傾向にあった。2010年にリリースされたマイリー・サイラス『Can’t Be Tamed』、ケイティ・ペリーTeenage Dream』、クリスティーナ・アギレラ『Bionic』、2011年にリリースされたレディ・ガガ『Born This Way』、ケリー・クラークソン『Stronger』のいずれもが、来るべき10年代のEDM全盛の時代先読みしたダンス寄りの作風にシフトしている。元々ロックが強かったアヴリル・ラヴィーンでさえ、2011年リリースの『Wish You Were Here』では打ち込みが強い作風に変化している。2010年前後でロックを押し出していたのは、セレーナ・ゴメス(正確にはSelena Gomez & The Sceneのバンド名義)の『Kiss & Tell』くらいであろう。

なぜテイラー・スウィフトは、トレンド的には周回遅れともいえるロックを選択したのか?そこには3つの理由が考えられる。

一つ目には、テイラー・スウィフトのルーツがあげられる。テイラー・スウィフトは、自身の音楽的影響源としてカントリー以外の音楽からの影響を公言しているが、その中にはパンクやエモと呼ばれるアーティストも存在する。例えばアメリカで放送されたApple MusicのTV CMではジミー・イート・ワールドの代表曲”The Middle”を口ずさみ、10代のころによく聴いていた、と発言するシーンが含まれている。このような事実から考えれば、テイラー・スウィフトが何らかの音楽的変化を志向したときに、ロック化・エモ化というのはごく自然な選択肢であったと考えられる。

ニつ目の理由は、カントリーの重力である。『Fearless』でジャンルレスな成功を収めたとはいえ、この時点でもカントリーはテイラー・スウィフトにとってもっとも重要なマーケットであり、もし音楽的な変化を目指すとしても、最大の支持基盤であるカントリー層から不支持を突き付けられるような大胆な変化は望んでいなかったはずだ。そのカントリーは保守的で、性急な音楽的革新を求めないジャンルである。このようなカントリーの制約を前提にすると、いかにトレンドとはいえ、カントリーとは相性が悪いエレクトリックなダンスミュージックを大胆に取り入れることは非常に難しい。一方、基本的な楽器構成が似ており、元々境界線が曖昧なロックであれば、支持基盤を失うことなく無理なく変化できる。ロックの中でも若年層向けのエモを選択することも、おそらく許容範囲だろう。このような判断からロックを選択したことは推測できる。

三つ目の理由として考えられるのは、意図的な差別化である。これはテイラー・スウィフトのキャリアで一貫する基本戦略である。デビュー作『Taylor Swift』は典型的なカントリーサウンドであったが、10代という若さとトラディショナルな音楽性はカントリーシーンでは差別化要因になりえた。結果的にポップシーンを制した『Fearless』は、音楽性としては保守的なカントリーポップだったが、ロックやダンスが主流だった2008年ごろのポップシーンにおいて比較対象がいないニッチャーになりえた。このようにターゲットとする市場において主流ではないやや外したポジションを選ぶのは、テイラー・スウィフトの必勝パターンともいえる。このように考えると、ポップシーンにおいてロックが力を失いつつあった2010年においてあえてロックを選択したのは、戦略的な意図だったのかもしれない。残り物には福があるではないが、こぞってロックから離脱していくポップミュージックシーンの歌姫たちに対し、ついていけない思いをする音楽的に保守的な若い層を取り込もうとしたのではないだろうか。

いずれにしろ、ロックの影響を強めるという変化を見せた『Speak Now』は十分な成功を収めた。Billboard 200における合計6週のNo.1、現在までに全米で460万枚のセールスというのは、商業的には紛れもなく大成功である。

だがしかし、前作『Fearless』は合計11週のNo.1、現在までに全米で710万枚以上を売り上げている。向上心が強く冷静に自己分析をするテイラー・スウィフトが、この差を意識しなかったとは考えにくい。自身のキャリアは『Fearless』がピークだったのではないか。今までの多くの成功者がそうであるように、自身もピークを過ぎ、徐々に下り坂を転がっていくのではないか。再び『Fearless』と同等の成功をもう一度収め、絶対的な地位を確立するためには、『Speak Now』程度の変化では不十分なのではないか。

次作『Red』における大胆な変化と積極的なプロモーション攻勢を考えると、この時期のテイラー・スウィフトの頭に過っていたのは、安心感よりも焦燥感だったのかもしれない。 

10. 成熟期:ポップアーティストへの脱皮

一連の分析で活用しているプロダクトライフサイクル理論では、導入期→成長期→成熟期→衰退期と4つのステージで製品やブランドの寿命を表現している。

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だが、すべてのブランドが衰退を迎えるわけではない。話題のニューカマーとして注目される成長期を超えた後もなお、巧みな生存戦略で成熟期においても緩やかな成長を続け、市場に君臨し続けるブランドも存在する。コカコーラ、マクドナルド、スターバックス、ディズニー、グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップルなど、これら衰退知らずのブランドはいずれも時代を象徴するスタンダードブランドとなっている。

スタンダードブランドが成熟期に展開する戦略に共通するのは、変化の継続である。如何なる市場であろうとも、社会、文化、テクノロジーといった複雑な要因によって変化し続ける。このような流動的な市場において、過去の成功体験に寄り掛かり現状維持を選択することが、衰退に直結する。そのため、衰退せず成長を続けるブランドは、地位を確立し成熟した後も積極的に変化していく。

まず行うのはターゲットの拡張もしくは変更である。成長期を支えたファンに固執せず、古くからのファンからの批判も恐れず、新しいファンを獲得するため、新しい市場に果敢に乗り込んでいく。スターバックスは成長期まではハイブランドカフェとして都市生活者をメインターゲットにして差別化を図っていたが、成熟期に入ってからは郊外型の生活者をメインターゲットにし、やや大衆的なブランドにシフトして勢力拡大に努めた。

ターゲットを変更すると、商材も変化することが多い。新しいターゲットは既存商材のままでは対応できないことが多いからである。そしてターゲット変更の振り幅が大きくなるほど、商材に施される変化も大きくなる。ファン層を完全にスイッチする場合には商材をフルモデルチェンジすることもあるが、旧来のファンを維持するため、既存商材は維持したまま新商材をラインアップに追加することも多い。

iPhoneは非常に少ない製品バリエーションで成長期を戦ったが、現在は容量・カラーバリエーション・旧モデルを流用した廉価版など、様々な製品をラインナップに加えている。さらには競合となるAndroid系製品を意識した独自性に欠ける機能も多く実装されている。ジョブズ時代からの古参ファンはこのようなアップルの戦略を時に「迷走」と批判するが、これは中国市場をはじめとする新規市場への最適化であり、アップルが成熟期に突入したからこその、ティム・クックによる適切かつ妥当な舵取りである。その証拠にアップルはジョブズ没後も売上を伸ばし続けている。

このiPhoneのみならず、成長期にマーケットリーダーとしての地位を確立したブランドが、成熟期にもさらなる成長を続けるために、新市場に最適化した新製品をラインナップに加えたり、単一サービス型のビジネスであれば内容をチューニングしたり、事業を多角化したりすることで、ブランドを強化している例は枚挙にいとまがない。

このように成熟期を長期化し、衰退期の訪れを回避するための生存戦略は、音楽という商材においてもほぼそのまま当てはまる。市場感覚を持ったポップスターなら、変化=成長、現状維持=衰退という原則を直感的に理解していることだろう。そして変化しながら成熟することは、一度目の成功以上に難しいことも知っている。なぜなら過去と違う方法で、再び成功しなければならないからである。偶然に頼っては複数の成功は掴めない。時代を読む天才的嗅覚と市場を動かす戦略的思考が求められる。

2012年10月22日、4枚目のフルアルバム『Red』がテイラー・スウィフトディスコグラフィに新たに加わった。本作こそ衰退を回避し、ポップミュージックシーンのスタンダードブランドとしてさらなる成長を続けるための戦略的アイテムである。

デビューアルバム『Taylor Swift』の流れを知るリスナーであれば、一聴して『Red』におけるかつてない大きな変化に気が付いたことだろう。本作では、当時主流だったダンスミュージックに倣い、エレクトリックなサウンドアレンジを大胆に取り入れている。これは明らかにカントリー以外の市場を狙って脱カントリーを図ったものであり、ロックに接近した『Speak Now』以上の大きな路線変更である。

プロデュースは引き続きネイサン・チャップマンが中心となっているが、すべての作詞作曲を一人で手掛けた『Speak Now』と異なり、本作では多くの曲を外部ライターと共作している。ほとんどは、マックス・マーティン&シェルバック、ジャックナイフ・リー、ゲイリー・ライトボディ(Snow Patrol)、ダン・ウィルソン、エド・シーランといった稀代のヒットメイカーたちである。このように外部ライターと積極的にコラボレートし、統一感よりも1曲1曲のヒット性を重視したパッチワークのようなアルバム構成は、伝統的なカントリーには見られない2010年代のポップミュージックらしいアプローチである。

ただし本作は脱カントリーを目指しているとはいえ、次作『1989』のような完全ポップアルバムではない。フィドルマンドリン、スライドギターといったカントリーを象徴する楽器の音色はまだ残っており、生のドラムも目立つ。つまり、脱カントリーを目指しながらも、ギリギリのところでカントリーに留まっているアルバムといえる。

また先行シングル" We Are Never Ever Getting Back Together "にはカントリー系のラジオステーションをフォローするためのカントリーミックスも用意されていた。カントリーを完全に捨てるのではなく、支持基盤としてのカントリー市場はなるべくはキープしたまま、できる限り市場を拡大する戦略であったと考えられる。アンゾフの事業拡大マトリクスを用いれば、『Red』による市場拡大戦略は以下のように整理できる。

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私は本作をテイラー・スウィフトのキャリア最高傑作と評している。それはモダンなエレクトロサウンドとノスタルジックなカントリーサウンドの融合により、テイラー・スウィフトでなければ表現できない音楽的独自性が見事に結実しているからである。特にカントリーとエレクトロが極めて自然に鮮やかに融合したアルバムタイトル曲"Red"は出色である。

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[PV] テイラー・スウィフト “Red”

アルバム『Red』のリリースに先立つこと2カ月前の2012年8月13日、第一弾シングル"We Are Never Ever Getting Back Together"がリリースされた。今でこそ代表曲となっている楽曲だが、従来のテイラー・スウィフトとは明らかに異質なサウンドに戸惑ったファンも多かったことだろう。2日しかカウントされなかった初週はBillboard Hot 100での72位でのデビューとなったが、翌週ジャンプアップし、キャリア初のチャートNo.1ソングとなった。

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[PV] テイラー・スウィフト “We Are Never Ever Getting Back Together”

続く2012年9月25日には『Speak Now』の路線を踏襲した美しいスローナンバー"Begin Again"をiTunes Store限定でリリース。

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[PV] テイラー・スウィフト “Begin Again”

デジタルダウンロードのみの販売ながら本作はBillboard Hot 100で初登場7位を記録。新境地の"We Are Never Ever Getting Back Together"と従来路線と踏襲した"Begin Again"によって、ファンの期待は最高潮に達した。

そして2012年10月22日、待望の『Red』がリリースされた。

大ヒット作『Fearless』から『Speak Now』に至る変化を比較すると、チャートNo.1在位は11週→6週、アルバムセールスは2017年11月時点での累計では約710万枚→約460万枚となっている。『Speak Now』自体が普通のアーティストならば人生が一変するほどの特大ヒットアルバムだが、『Fearless』と比べるとピークを過ぎたようにも見える。

大きな成功を収めたアーティストは成功したアルバムをリリースして以降は下降線を辿ることがほとんどである。キング・オブ・ポップと称され今となっては伝説的存在となっているマイケル・ジャクソンでさえ、キャリアピークといえる『Thriller』以降は下降線を辿り、その流れを止めることなくキャリアを終えている。『Fearless』から『Speak Now』の下降線を辿るならば、『Red』はチャートNo.1在位は1~3週、アルバムセールスは100~300万枚程度に落ちていても不思議ではなかった。

前作『Speak Now』の初週セールスは104枚という歴史的なものだったが、『Red』はそれを上回る121万枚を出荷した。年々アルバムが売れにくくなっている状況の中、10年ぶりの記録更新となった。Billboard 200では当然のように初登場No.1を記録し、最終的には不連続で7週の1位を獲得した。1位在位週でいえば、『Speak Now』から落ちるどころかそれを超える記録を達成した。

アメリカ国内でのアルバムのトータルセールスは2017年11月時点で約440万枚を記録している。これは『Speak Now』よりやや低いセールスに留まっている。理由として、従来の人気を支えてきたカントリーのファンが去ったことが考えられる。事実、一部のカントリー系ラジオステーションでは「もはやカントリーではない」とエアプレイを拒否する事態も発生している。しかし失ったファンとほぼ同数の新規ファンを獲得したからこそ、アメリカ国内のアルバムセールスは『Speak Now』と比べて微減に留まったのだろう。

グローバル市場に目を向けると『Speak Now』が世界市場で540万枚、『Red』は600万枚と伸びを見せた。イギリス、オーストラリア、カナダ、アイルランドニュージーランドでもチャートNo.1を記録し、ここ日本でも"We Are Never Ever Getting Back Together"が人気テレビ番組の主題歌に使われたことも影響し、洋楽を聴かない一般層でも顔と名前が一致するほどに知名度を上げた。『Red』は、アメリカ市場のみならずグローバル市場でのより大きな成功を獲得したアルバムでもある。

またここまであまり触れてこなかったが、アルバムを帯同したライブツアーの興行収入に関しても、Fearless Tourが6370万ドル、Speak Now World Tourが1億2300万ドルに対して、The Red Tourは1億5020万ドルとさらなる伸びを見せている。

こういった数々のデータに裏付けされるように、大胆な音楽性の変化を見せた『Red』は、『Fearless』から『Speak Now』で描いた下降の流れを食い止めることに成功した。数字上は『Speak Now』からの僅かな成長にも見えるが、アーティストとしての新奇性を売りにできないキャリア4作目で衰退を回避し、上昇軌道に乗せた意味は大きい。もはやデビューから巨大な成功を続けるテイラー・スウィフトに対抗する競合はいなくなった。『Red』の成功によって、テイラー・ブランドはアメリカ音楽シーンにおけるスタンダードブランドとしての足場を固めたのである。

11. 完全ポップ化とカントリーからの離脱

カントリーとポップミュージックの境界線は曖昧である。フェイス・ヒルのように、カントリー系アーティストがカントリー色を薄めてポップミュージックに接近する現象は過去にも多く見られた。

カントリーでキャリアをスタートしながら巨大な成功を収め、ポップスターの頂点を極めたテイラー・スウィフトもまた、『Speak Now』と『Red』ではカントリーから距離を置く道を模索していた。そして『1989』では、より大きな決断を下した。

2014年8月18日、新作『1989』のリリースがアナウンスされ、同時に「first documented official pop album」というコンセプトが提示された。日本では「キャリア初の完全ポップアルバム」とも報じられた。まさにカントリーとの決別宣言である。"We Are Never Ever Getting Back Together"や”I Knew You Were Trouble”のヒットを考えれば予想できる方向性ではあるが、それでも『1989』のプロモーションにおいては「脱カントリー」「公式ポップアルバム」というコンセプトは、注目と期待を集めるのに十分な宣伝材料となった。

アーティストにとって、音楽性を大きく変えるのはギャンブルになりやすい。『1989』におけるチャレンジをアンゾフの事業拡大マトリクスで表現すれば分かるが、新規製品で新規市場だけを狙うという、もっとも極端な拡大路線に足を踏み出している。

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これは大きな挑戦だったかもしれないが、一方で大きな賭けでもなかっただろう。なぜならば、カントリーからの離脱は『Speak Now』以降ずっと模索し続けてきたことだったからであり、ある程度の勝算を見越したうえでの、非常に慎重な方向転換だったからである。

例えば『Fearless』ほどの空前の成功を収めた直後でも、カントリーを払拭したポップアルバムをリリースし、それなりに成功をすることは可能だっただろう。しかしそうはしなかった。これがらしいところである。テイラー・スウィフトマーケティング戦略の特徴は、大胆さの裏にある保守性と慎重さだ。大きな挑戦の前に小さな実験を繰り返し行い、市場がどのように反応するかをテストしてから行動を決めている。

『Speak Now』ではオルタナティブロックのテイストを強め、カントリーのテイストを弱める実験を行った。既存ファンの大きな拒否反応こそなかったが、際立った効果は得られなかった。

続く『Red』ではさらにカントリーから離れ、デジタル風味の強いダンスミュージックを取り込んだ。ただしカントリーを一掃はせず、過去の路線を踏襲した楽曲もアルバムには収め、"We Are Never Ever Getting Back Together"のような挑戦的なシングルにはカントリーミックスを用意した。この実験はカントリーを愛するファンの離脱に繋がったが、失ったファンを穴埋めするだけのアメリカ国内での商業的パフォーマンスとグローバル市場での成長に繋がった。『Red』におけるこの成功が、『1989』における「完全ポップ化」という大きな決断に繋がっているのは間違いない。

しかしながら、ポップアルバムと言葉にするのは簡単だが、優れたポップアルバムを作るのは実は非常に難しい。そもそもポップというのは曖昧なジャンルであるし、そもそもジャンルではないともいえる。広義に捉えれば、大衆性を志向していればすべてポップということになる。だがこのように広範囲に捉えて自由な解釈ができるからこそ、音楽性の軸を失いやすい。そのため多くの場合、トレンドとなっているサブジャンルを中心に音楽性は再構成される。ロックが強い時代はロックテイストが強くなり、レゲエがブームになればレゲエの要素が加わり、ヒップホップが台頭すればヒップホップの要素が積極的に取り込まれる。

2010年代におけるポップミュージックの主流はいうまでもなく、EDMに代表されるエレクトリックなハウスミュージックである。空前のEDMブームが沸き起こったのは、デイヴィッド・ゲッタ、カルヴィン・ハリスアヴィーチー、ゼッドといったEDMシーンを牽引した人気DJのみならず、彼らをフューチャーしたポップアーティストの影響も大きい。ブーム最盛期の2012年から2014年頃には、リアーナ、レディ・ガガケイティ・ペリーアリアナ・グランデジェニファー・ロペスブリトニー・スピアーズ、アッシャー、クリス・ブラウンといった人気ポップアーティストがこぞってEDMを意識したアッパーなダンスチューンをシングルとしてリリースしている。

ただしこのEDMブームも2013年ごろからダウントレンドに入り、2014年にはポストEDMを探る動きも始まっていった。このようにトレンドが流動的な2014年末は「ポップ」の方向性を定めにくい難しいタイミングであったといえる。

短絡的に考えれば、ダウントレンド気味とはいえ勢いが続くEDMに乗り、アッパーなダンスナンバーを中心にアルバムを染め上げることもできたはずであろう。一方で、Daft Punkが『Random Access Memories』で見せたような、EDMを真っ向から否定するクラシックなディスコで勝負をかける選択肢もあった。結論としてテイラー・スウィフトが選んだのは、前者と後者の中庸といえる「80年代」という方向性であった。

『1989』の冒頭を飾る”Welcome To New York”を聴けばわかるように、本作の中心的な音楽性は、80年代シンセポップである。本アルバムにインスパイアを与えたアーティストとしては、ファイン・ヤング・カニバルズ、アニー・レノックスフィル・コリンズ、マドンナなどの名前が挙がっている。

ただし当然ながら、これは安易な80年代リバイバルではない。EDMの流れを組んだ電子的な処理、ベースミュージックの影響を感じさせるリズムセクションなど、現代的にアレンジされたシンセポップである。『Red』では一部を共作していただけのマックス・マーティン&シェルバックのコンビが作曲、プロデュースともに全面的に参加している。この80年代風でもありながら10年代風でもある、懐かしさと新しさが同居する『1989』の音楽性には、彼らの貢献も多分にある。

このような80年代志向は、トレンドを完全に無視した方向性ではない。2013年には、カーリー・レイ・ジェプセン、チャーチズ、オウル・シティといったアーティストが、80年代風シンセポップに近い作風でヒットを記録している。10年代における80年代サウンドとは、EDMサウンドの対立軸にあるものではなく、影響を受けながら共存できるサウンドでもある。

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[PV] チャーチズ "The Mother We Share"

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[PV] カーリー・レイ・ジェプセン "Call Me Maybe"

テイラー・スウィフトはそのキャリアにおいて一貫して「トレンドとは付かず離れず」というポジションに位置する傾向があるが、本作において80年代サウンドを志向したのも「トレンドとは付かず離れず」の方針と一致する。テイラー・スウィフトの基本戦略は常に「時代は読むし、時代に合わせるが、時代の中心には合わせない」である。

とはいえ、『1989』には実は80年代シンセポップ路線とはやや異なる方向性の楽曲が混じっている。その一つは、先行シングルとしてリリースされた”Shake It Off”である。

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[PV] テイラー・スウィフト "Shake It Off"

”Shake It Off”はパーカッシブで軽快なダンスナンバーだが、そのサウンドは80年代シンセポップというより、どことなく70年代後期~80年代初頭に流行したディスコミュージックからの影響も匂わせるものである。このセレクトにも、テイラー・スウィフトのしたたかさがうかがえる。

ポストEDMの模索が始まっていたこの時期、次のトレンドとして「生演奏のディスコミュージックが来る」と一部で言われていた。実際、2014年8月にリリースされた”Shake It Off”の前には、ファレル・ウィリアムス”Happy”(2013年11月)、ブルーノ・マーズをフューチャーしたマーク・ロンソン”Uptown Funk”(2014年11月)がリリースされ、それぞれ大ヒットしている。この流れに先鞭をつけたのは2013年5月にリリースされたダフト・パンク『Random Access Memories』であり、大ヒット曲”Get Lucky”だろう。

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[PV] ファレル・ウィリアムス "Happy"

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[PV] マーク・ロンソン ft. ブルーノ・マーズ "Uptown Funk"

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[PV] ダフト・パンク ft. ファレル・ウィリアムス "Get Lucky"

2000年代にはフレンチ・エレクトロのビッグネームとして世界中にその名前が知れ渡り、ハウスミュージックの大御所としての地位を確立していた彼らは、10年代のEDMを嫌っているとも言われている。ドイツの人気DJゼッドがダフト・パンクの”One More Time”をライブで幾度もプレイしながら、ゼッドによるリミックス音源のリリースにダフト・パンクがOKを出さないのは、彼らのEDM嫌いが原因とも言われている。

そんなダフト・パンクがEDM全盛期の2013年にリリースした『Random Access Memories』は、彼らの基本路線であるエレクトロを封印し、生演奏を主体にした70年代~80年代頃の古き良きポップミュージックに回帰した問題作であった。EDMが若手アーティストをフィーチャリングして注目を集める手法をあざ笑うかのように、『Random Access Memories』ではジョルジオ・モロダーナイル・ロジャース、ポール・ウィリアムスといった、往年のアーティストを積極的にフューチャーしている。この問題作は、一方でポップミュージックとして究極といえるほどの完成度を誇り、大ヒットを飛ばした。2014年の第56回グラミー賞は本作が4部門を受賞し、ステージ上でのスティーヴィー・ワンダーとの共演も大いに話題になった。

結果からみるとこの「生音ディスコ」の流れはその後あまり広がらず、トロピカルハウスのような緩やかなハウスがポストEDMの主流となっていったが、2014年という流動的な時期に保険をかけるかのように生音ディスコ風のキラーチューンを仕込んでヒットさせるテイラー・スウィフトの周到さは、まさにマーケティング巧者ならではといえる。

そしてもう一曲、『1989』の中でやや異質な楽曲が”Bad Blood”である。セレーナ・ゴメス、エリー・ゴールディングジェシカ・アルヴァ、シンディ・クロフォードといった親交が深いアーティストやセレブリティを集めた挑発的なPVも話題になった全米No.1シングルだが、本作からうかがえるのはヒップホップへの接近である。

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[PV] テイラー・スウィフト "Bad Blood"

ヒップホップもまた2014年当時、EDMの次に来ると注目されていた音楽ジャンルである。ヒップホップ自体は90年代からポップミュージックシーンに根付いており、既に新鮮な音楽ジャンルではなかったが、10年代後半にはその勢いが加速、2017年にはロックの売上をヒップホップが上回るほどになっていった。このような2010年代のヒップホップシーンを牽引したのが新進気鋭のヒップホップアーティストたちであり、その先頭に立つケンドリック・ラマーが”Bad Blood”のシングルにはフィーチャーされている。

実のところ、テイラー・スウィフトのルーツを紐解いても黒人音楽との繋がりは希薄である。白人音楽の中でも特に保守的なカントリーが出自ということがすべてを物語っているが、黒人音楽の中でも特にヒップホップはまったく縁がないように思える。

それにもかかわらずこの段階でヒップホップを取り入れるのは、マーケティングを重視した戦略的な意図が強いと考えられる。Spotifyで公開されているテイラー・スウィフトの最近のお気に入りを集めたプレイリスト『Songs Taylor Loves』ではヒップホップ系の曲も取り上げられているが、必ずしも多くはない。「ヒップホップに全く関心がないがビジネスとして割り切っている」ということはないだろうが、いくつかある選択肢から最終的な方向性を決めるにあたり、戦略的な意図を優先させたと考えるのは自然だ。

結果を見れば”Shake It Off”の生音ディスコはその後広がりを見せなかったが、一方で”Bad Blood”のヒップホップはその後音楽シーンの中心的なジャンルとなり、これが次作『Reputation』の布石となった。時代の先を読みながら、小さな実験を行って着実に歩を進めるテイラー・スウィフトの戦略は、このような楽曲ラインナップからもうかがえる。

2014年10月24日にリリースされた『1989』は、結論からいうと商業的に『Speak Now』『Red』を上回る記録的な成功を収めた。『1989』の歴史的快挙をあげるとキリがないが、代表的なものを列挙しよう。 

  • 発売初週で7万枚を出荷。これは『Speak Now』の104.7万枚、『Red』の120.8万枚を超える記録である。2002年のエミネム『The Eminem Show』(132.2万枚)以降では最大の週間セールスである。
  • 3作連続の週間ミリオンセールスは91年以降に集計方法が変わって以降は初の記録。
  • アルバムリリース後10週連続で20万枚以上を販売。
  • 2014年だけで米国内だけで366万枚を販売。2014年にアメリカで最も売れたアルバムとなる。
  • 2018年1月現在、アメリカでは611万枚のセールスを記録。これは『Speak Now』の460万枚、『Red』の438万枚を超え、『Fearless』の713万枚に迫る記録である。
  • 2005年以降リリースアルバムでは最速となる発売36週目で累積売上500万枚を突破。(直前の記録はアッシャー『Confessions』の19週)
  • ビルボードアルバムチャートで非連続11週連続の1を記録。これは『Fearless』と並ぶ記録である。
  • アルバムチャート通算首位各特集が31週となり、マライア・キャリー(通算30週)を超えて女性アーティスト歴代単独2位に。(1位はホイットニー・ヒューストン
  • 発売から1年以上たった53週目まで連続TOP10入り。これは1963年以降4枚目の記録。
  • アメリカ3大音楽賞の一つ、第58回グラミー賞の最優秀アルバム賞を受賞。『Fearless』に続く2度目の授賞でこれは女性アーティスト初。
  • アメリカ3大音楽賞の一つ、第43回アメリカン・ミュージック・アワードではファイヴァリット・ポップ/ロック・アルバムを受賞。
  • アメリカ3大音楽賞の一つ、第22回ビルボードミュージック・アワードのトップ・ビルボード200アルバムを獲得。

いずれも錚々たる記録だが、特に自身が打ち立てた『Fearless』の11週No.1記録に並んだことは驚くべきことである。この『1989』によって、テイラー・スウィフトは第二の全盛期を迎えたと言える。大ブレイクした『Fearless』から3作経ってなおキャリアのピークに近いセールスを記録するというのは驚異的であり、このような不連続の2つの巨大な成功を記録したアーティストはアメリ音楽史上例を見ない。カントリーというメインストリームではないジャンルからキャリアをスタートさせた16歳のシンガーソングライターは、8年という短い期間の中でポップミュージックの頂点に到達するだけでなく、前人未到の領域にまで上り詰めたわけである。

12. 際立つソーシャルメディア活用術

『1989』のもっともセンセーショナルなトピックは「キャリア初の完全ポップアルバム」ではあったが、『1989』の巨大な成功も当然ながら音楽性の変化や音楽のクオリティだけで成し遂げられたわけではない。過去作以上の『1989』を売るための細やかなマーケティング戦略もこの大成功の大きな要因であろう。

テイラー・スウィフトが所属するビッグマシーンレコードがマーケティング戦略について詳しく語ることはない。そのため我々がその戦略の全貌を知ることは不可能だが、断片的な情報を繋ぎ合わせるだけでも、成功に繋がる数々の工夫を窺い知ることはできる。

テイラー・スウィフトが行っているマーケティング戦略において不可欠なことの一つに、情報の主導権を握るための情報戦略がある。

例えば『1989』のリリース発表は、既存メディアを通さず、Yahoo!が提供するライブストリーミングサービス「Yahoo! Live」上で行われた。情報の主導権を既存メディアに委ねず、自らが主導権を握れるメディアを選択し、そこを情報の発信源とするのは、特に『Red』以降のテイラー・スウィフトによく見られる。

一個人と違い、あらゆるメディアの注目にさらされているテイラー・スウィフトが情報の主導権を握ることは実はかなり難しい。なぜなら、メディアにリークされないための鉄壁の情報統制が必要になってくるからである。しかしこの点においても、テイラー・スウィフト陣営は抜かりがない。

例えば『1989』は1年以上前からレコーディングが行われていたが、リリースされるまでは彼女のスマートフォンでしか聴けなかったと言われている。またリリース前に制作されるPVでは、撮影スタッフや出演者にすら音楽を開示せず、無音で撮影を行っているとも伝えられている。そこまで来るともはや偏執的ともいえるが、徹底した情報管理こそが現在のマーケティング戦略の根幹にあることを、テイラー・スウィフトとそのチームはよく理解しているのだろう。

『1989』では、ファン心理をくすぐるいくつかの施策も実施されている。例えば『1989』のCDには手書きの歌詞を含む、テイラー・スウィフトの日常を切り取ったような13枚のポラロイド写真が同封されていた。この写真の組み合わせは5パターンあり、計65種類の写真が存在していたのだが、当然ながら熱心なファンはこれを揃えるために複数枚のCDを買うことになった。これ以外に、アメリカ第5位の小売業者「ターゲット」のみで流通している新曲とボイスメモが追加されたスペシャルエディションもリリースされた。熱心なファンはこれも追いかけていかなければならなくなる。

一つ買うとすべてを揃えたくなる心理はディドロ効果と呼ばれ、ロイヤリティの高いファンを抱えるブランドではよく活用されている。日本の人気アーティストも複数のエディションをリリースすることがあるが、仕掛けとしては同じである。こういった仕掛けはファンを搾取し、ヒットチャートをハックする手法として批判的に見られることもある。しかし、そもそもこのような戦略を取って成果をあげられるのは限られたアーティストだけであり、ファンもそれを歓迎している。これが、テイラー・スウィフトの人気やブランドにマイナスに働くこともないだろう。

このような数々の巧みな戦略・戦術の中でも、音楽関係者のみならず、世界中のマーケターから大いに注目されているのが、そのソーシャルメディア活用術である。

2000年代に登場したソーシャルメディアは、TwitterFacebookの成功によって2010年代にはその影響力を飛躍的に増大させ、「アラブの春」のような国家体制を変える政変まで引き起こすようになった。このような時代の音楽ビジネスに、ソーシャルメディアが不可欠なのはいうまでもない。

テイラー・スウィフトの公式アカウントとしては現在、FacebookTwitterInstagramYoutubeTumblrが存在する。また過去にはMySpaceを運用していた時期もあった。Facebookには7,281万、Twitterには8,342万、Instagramには1億1,000万、Youtubeには3,092万のフォロアーや登録者が存在している(2018年8月現在)。それぞれのプラットフォームにはさらに上を行くアーティストが存在するが、複数のプラットフォームで押しなべて多くのフォロアーを獲得し、うまく使い分けているのがテイラー・スウィフトの特徴である。

アルバムリリースのカウントダウンのようにリアルタイム性が求められるイベントには、タイムラインが強いTwitterを活用している。テキスト・画像・動画などをフラットに扱うことに長けたFacebookは、公式ニュースとしての性質が強い。一方、写真と動画に特化したInstagramでは彼女の私生活を垣間見ることができる。テイラー・スウィフトソーシャルメディア活用でユニークなのは、マイクロブログの性質が強いTumblrを重視していることである。例えばApple Musicとの論争が巻き起こった際、ステートメントTumblrに投稿された。Tumblr特有のユーザーコミュニティを理解し、ファンの投稿をリブログ(シェア)したり、様々な議論に参加してコメントを残したりなど、Tumblr上での活動を積極的に行っている。これは他のアーティストには見られない動きである。

これら公式アカウントをウォッチしていると、いずれもかなりの更新頻度であることに気が付く。しかも同じコンテンツを自動転送するようなことは一切ない。すべて各プラットフォーム向けのオリジナルコンテンツが配信されている。熱心なファンならそのすべてをフォローしたくなるだろう。そしてすべてをフォローすれば、テイラー・スウィフトの情報に毎日触ることができるようになる。やがてFOMO(Fear Of Missing Out:見逃すことの恐怖)を覚え、テイラー・スウィフトの情報を追わずにはいられなくなり、日常の中で大きな存在となっていく。

当然ながら、これらの大規模かつ緻密なソーシャルメディア運用をテイラー・スウィフト一人がやっているとは考えにくく、おそらく専門チームが存在しているはずである。しかし運営事務局の存在を感じさせることはなく、あくまでテイラー・スウィフトという個人が、忙しい時間を割いて更新しているように見える。

テイラー・スウィフトソーシャルメディア活用術においては、このようなマルチプラットフォーム活用以外に、ファンからの投稿を積極的に取り込んでいる点も非常に特徴的であり、現在的でもある。

『1989』リリース時、同アルバムを購入したリスナーに#Taylurkingというハッシュタグを付けて写真を投稿するように公式アカウントが呼び掛けた。そしてタグが付いたファンの投稿を公式アカウントがリツイートしていった。自身のツイートがテイラー・スウィフトの公式アカウントに取り上げられるというのはファンにとっては思わず自慢したくなる特別な体験である。当然ながらこのキャンペーンは世界中に拡散し、『1989』のプロモーションを後押しした。

テイラー・スウィフトはさらに大胆なファンとの交流も行っている。通常新作のリスニングパーティーといえばメディア関係者に向けて行われるものだが、『1989』のリスニングパーティーは、Twitterのメッセージで招待を受けたファンがテイラー・スウィフトの自宅に招かれるシークレット・セッションとして開催された。テイラー・スウィフトは彼らにカボチャのチョコチップクッキーを振る舞い、Instagramでお馴染みの愛猫のオリビア・ベンソンとともにポラロイドカメラに映った。

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[動画] 1989 Secret Sessions, Behind The Scenes!

2014年のクリスマスには「Swiftmas」というイベントも行っている。これは無作為に選ばれたファンに対してテイラー・スウィフト直筆のメモが同梱されたプレゼントを贈るキャンペーンであるが、ここではTumblrのフォロワーがその対象となっている。受け取ったファンの驚き、時に涙ぐむ様子を写した動画はソーシャルメディア上で広く拡散された。

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[動画] Taylor Swift's Gift Giving of 2014
このようなテイラー・スウィフトによるソーシャルメディア上での積極的な活動を振り返ってみると、同じくソーシャルメディアを活用している企業との決定的な違いに気が付く。

企業の多くは、ソーシャルメディアを自社製品の売込みのために使っている。新しい商品が発売された、買ってくれ、というメッセージを流し続けている。しかし、テイラー・スウィフトソーシャルメディアに発信する情報には、アルバムやライブの宣伝はそれほど多くない。ただ単に、ソーシャルメディアを通じてファンと交流したり驚かせたりすることを楽しんでいるように見える。そこにビジネスやマーケティングの匂いは希薄である。商品を売り込まず、純粋に楽しむ。これこそ、テイラー・スウィフトから学ぶべきソーシャルメディア活用の根幹ではないだろうか。

また、テイラー・スウィフトソーシャルメディアに向き合う姿勢からはマーケティング戦略における一つのコンセプトが垣間見える。それは「テイラー・スウィフトは音楽ではなく世界である」という考え方である。

テイラー・スウィフトの世界」にとっては「音楽」はアトラクションの一つに過ぎない。ファンが音楽を買う時、そのアトラクションを自由に楽しむ権利を購入しているわけだが、一方でそれは「テイラー・スウィフトの世界」に参加する入場券でもある。こうして参加した「テイラー・スウィフトの世界」には音楽やライブ以外にも様々なアトラクションが用意されている。ファッション、華やかな交遊録、愛らしい飼い猫、熱烈なファンとコミュニティ。それだけでなく、セレブリティとのロマンス、カニエ・ウエストやケイティ・ペリーとの確執といったゴシップ、Spotifyやアップルとの闘争もこのアトラクションに含まれている。

テイラー・スウィフトは、「テイラー・スウィフトの世界」における体験をより良くデザインするために、音楽以外の様々な活動も精力的に行っている。その中心的なテクノロジーソーシャルメディアである。

一方で、デジタルに固執しているわけではない。ソーシャルメディアは手段であり、真の目的はファンとのコミュニケーションと通じて「テイラー・スウィフトの世界」を構築し、体験してもらうことである。だからオフラインでのサプライズも忘れない。ファンを招待するイベントから、販売店に応じた限定品のリリースも含めて身近に感じられる「特別感」の演出に余念がない。こうした「テイラー・スウィストの世界」はファンの日常と地続きで繋がっており、ファンならば誰もが、いつでもその世界に触れることができる。そしてその中心にいるテイラー・スウィフトは、あたかも親しい友人であるかのようにソーシャルメディアで近況を報告してくれる。

音楽が売れにくくなっていると言われる時代に、10年以上にもわたってテイラー・スウィフトが安定して数百万枚を超えるセールスを記録し続けられているのは、音楽の力だけでなく、音楽を中心とした世界観の設計とそれと連携して駆動するマーケティング戦略が、他のどんなアーティストよりも卓越していた、ということは間違いなくいえる事実だろう。

13. 音楽ストリーミングとの対決

テイラー・スウィフトがデビューした2006年、世界中の音楽産業は危機感を募らせていた。1990年代にピークを迎えて以降、市場が縮小を続けていたからである。NapsterYoutubeが登場し、人々は音楽にお金を払わなくなり、CDを始めとする物理メディアの売上は下降線を辿っていた。

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単純なアルバムセールスだけに着目して90年代以前のアーティストと比べると、テイラー・スウィフトは特別際立った存在には思えないかもしれない。テイラー・スウィフトが米国内で最も高いセールスを記録した作品は『Fearless』で700万枚超だが、テイラー・スウィフト登場以前に米国内だけで一千万枚以上売り上げた作品は80以上存在する。『Fearless』以上の枚数を売り上げた作品になると100以上ある。

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しかし環境が変わっていることを考慮せずに同じ指標で単純比較することに意味はない。環境が変わっているのなら、評価の前提も変えるべきである。

21世紀に入り音楽は売れなくなっていた。2000年代中盤に登場したテイラー・スウィフトは、音楽が売れなくなっている時代に数々の記録を打ち立てていった。市場環境を考慮すれば、過去にビッグセールスを記録したアーティストと遜色のない、もしくはそれ以上の困難な記録を成し遂げたともいえる。デビュー以来400万枚を下回ることが一度もなくデビューから13年を経た2018年においても未だ音楽ビジネスのトップに君臨している。これほど長期間トップに居続けたアーティストは、それ以前でも数えるほどしか存在しない。

テイラー・スウィフトが、21世紀という音楽受難の時代において失速せずに大きな成功を収め続けることができたことの一つの要因は、次々に登場する新しい技術や手法に積極的だった点が挙げられる。カントリーアーティストとしてはいち早くソーシャルメディアを開設し、YouTubeにも積極的にミュージックビデオをアップし続けた。昔気質のアーティストのような、自分のスタイルに固執する頑固さとは対極にある柔軟さや軽やかさは、テイラー・スウィフトの強さの秘訣である。

だがしかし、テイラー・スウィフトは新しいものすべてに飛びついているわけではなく、明確に拒否したものも存在する。例えば音楽業界の新たなる潮流、サブスクリプション型の音楽サービス(以下、音楽ストリーミング)はそれにあたる。

2006年に創業、2008年にサービス開始されたスウェーデン発のSpotifyは音楽ストリーミングの最大勢力である。2016年には日本でもサービスが提供され、2018年5月現在、世界の月間アクティブユーザー数は1億7000万人、有料契約者は7500万人に到達している。

音楽ストリーミングは元々、NapsterYoutubeといった違法の無料聴取手段に対し、合法的に音楽を聴取する代替サービスとして登場した。しかし、CDを始めとする物理メディアと比べた時の分配金の低さから、音楽文化を衰退させるという反発も大きかった。特にSpotifyは無料ユーザー向けの広告モデルを採用しており、「制限付きだがタダで音楽が聴ける」というコンセプトに反対の立場を示したアーティストも多かった。その筆頭の一人はレディオヘッドトム・ヨークであり、もう一人がテイラー・スウィフトである。2014年11月、『1989』がリリースされた週に、『1989』を始めとするテイラー・スウィフトのバックカタログすべてがSpotifyから削除されたのは大きなニュースとなった。

Spotifyから大きく遅れて2015年の6月、長らく噂されていたアップルの音楽ストリーミング「Apple Music」の開始が発表されたが、この時にも一波乱あった。

アップルはサービスの開始にともない、3カ月の無料トライアルの実施を計画していた。しかしながら、その期間の印税をアーティストには支払わない方針を打ち出していた。これはアップルが自社サービスの顧客獲得のために仕掛ける、アップルの一存で行われるキャンペーンである。これに全アーティストが事実上費用持ち出しで協力しなければならない、というのはアーティストを搾取する行為と思われても仕方ないだろう。Apple MusicはSpotifyなどの競合サービスよりも高い印税を支払うことでレコード会社やレーベルと契約しており、無料トライアルで利用者が増えればアーティストもその恩恵を受けることができる、というのがアップル側の理屈だ。しかしこの賭けを拒否する選択権がアーティスト側にないということの理由付けとしては弱い。

このように秘密裏に勧められていたアップルの計画を世に暴くように、テイラー・スウィフトTumblrに長文のメッセージを掲載。アップルに対する対決姿勢を打ち出し、最新作『1989』の取り下げを表明した。

www.stereogum.com

声明文の中でテイラー・スウィフトは、アップルの過去の偉業を称えながらも今回の決定はアップルの横暴であるという見解を示している。またこれは自身の収入の問題というより、未だ成功を収めていない若いアーティストの可能性を潰すことへの懸念である、といった言及もある。最後に締め括られた"We don’t ask you for free iPhones. Please don’t ask us to provide you with our music for no compensation"(私たちはあなたに無料のiPhoneを求めません。私たちにも音楽を無償で提供するよう求めないでください)というアーティストならではの印象的な一文は、アップルを完全降伏させるためのキラーメッセージとなったことだろう。

アップルは音楽ビジネスの歴史がそれほどあるわけではない。ただ、2001年に投入したiPodが音楽プレイヤー市場を牛耳り、2004年に開始したiTunes Music Storeはデジタルダウンロードにおける最大プラットフォームとなり、一躍音楽ビジネスの覇者となった。2011年に亡くなったスティ-ブ・ジョブズは大の音楽好きであったことでも知られており、21世紀の音楽シーンにおけるアップルのブランド力は強大なものとなっていた。その驕りからか「無料期間中は印税を支払わない」という彼らの方針に、アーティスト側から反発が起きるとは想像していなかったのかもしれない。

アップルの動きは速かった。一日も経たずにアップルのインターネット関連サービス最高責任者である上級副社長エディー・キューが、無料トライアル中も全アーティストに印税を支払うことを表明した。テイラー・スウィフトが短時間で完全勝利を収めたわけである。両者はすぐに和解し、最新作『1989』はApple Musicで聴けるようになった。

この話は、アーティストという個人が巨大企業を打ち負かした痛快な事例としても語られることが多い。個人が企業よりも力を持つソーシャルメディア時代の象徴的な出来事でもあり、小が大を制する物語を好む大衆にも支持された。クリエイターを代表してアップルに異を唱えたことで、テイラー・スウィフトはミュージシャンの権利を守るために立ち上がったジャンヌ・ダルクのような存在にもなった。

しかし、この一連の話はそのまま受け取っていいのだろうか。

個人的に違和感を覚えるのが、この後『1989』はApple Musicだけで配信され、Google Play MusicAmazon Prime Musicなど、他サービスでは『Red』以前の作品しか配信されなかったことである。Spotifyは変わらず全作品が取り消されたままだった。なぜアップルだけこのような特別待遇を受けたのだろうか?さらにこの後、テイラー・スウィフトは米国内でのApple MusicのCMにまで出演している。騒動から一転、蜜月といっていいほどの関係を築いている。

当然ながら、この一連の騒動は仕組まれた茶番劇であると疑う人も多い。PANDRA創業者であるトム・コンラッドもその一人であり、Twitter上でいくつかの矛盾を指摘している。

まずApple Music以外のサービスは無料トライアル期間中に印税を支払っている。つまりApple Musicは、「無料トライアル期間中に印税を支払いますよ」と他社と同じ条件になったことを表明しただけなのに、なぜApple Musicだけ『1989』の独占配信という特別待遇を受けているのか。

さらにユーザーがお金を払わずに音楽を聴くことができることを理由にSpotifyの配信拒否をするならば、なぜ無料聴取における最大のプラットフォームであるYouTubeに配信を続けているのか。そもそもラジオだって無料で聴けるサービスである。なぜラジオエアプレイを拒否しないのか。Spotifyには広告表示があり、ユーザーには無料でもアーティストに印税を支払っていないわけではない。音楽ストリーミングを巡るテイラー・スウィフトの行動には一貫性がないのではないか。

一連の出来事がテイラー・スウィフトとアップルによって仕組まれたシナリオだったとすると、陰謀めいた一つのバックストーリーが見えてくる。

音楽ストリーミングの最大勢力であるSpotifyを失速させるために、アップルは世界で最も影響力があるポップスター、テイラー・スウィフトに目を付けた。広告を用いたフリーミアムモデルというSpotifyの特性に目を付け、これはアーティストの創作活動の価値を棄損する行為であるとテイラー・スウィフトが訴え、楽曲を一切聴けないようにする。これは『1989』がリリースされた2014年11月に起こす。ほとぼりが冷めた頃(次のアルバムがリリースされる頃)に、Spotifyには再配信する。Spotify以外の勢力は小さいので無視してもいいだろう。危険なのはSpotifyだけである。

その半年後、Apple Musicが参入するが、機能面での差別化が難しい音楽ストリーミングにおいて、Apple Musicだけが『1989』の独占配信は強い訴求ポイントになる。このことをよりインパクトがある方法で世に伝えたい。そして考案されたのがテイラー・スウィフトとアップルが対立するという自作自演の台本である。ただし騒動を長期化させるとアップルのブランドを棄損するリスクが高まる。そこで話題になった瞬間、速やかに方針撤回の声明を出す。テイラー・スウィフトTumblrにメッセージを掲載したら、翌日すぐにエディー・キューが撤回を表明する。

この陰謀論は、確かに様々な矛盾や疑問を証明する。生き馬の目を抜くアメリカ・ショービジネスの世界であれば、なるほど有り得ない話ではないかもしれない。

だがしかし一方で、この陰謀論で一連の出来事を解釈するならば、新たなる疑問も生まれてくる。このシナリオは確かにアップルにとっては得るものが大きいだろう。だがしかし、テイラー・スウィフトは一体何を得るのだろうか。

アップルからの多額の報酬だろうか。 21世紀最大規模の成功を収め、莫大な資産を既に獲得しているアーティストが、報酬だけを理由に、発覚すれば自身のブランドイメージやキャリアを傷つけるような大きなリスクを取るだろうか。

そう、もし上記のようなアップルからの誘いがあったとしても、テイラー・スウィフトがそれに乗る強い理由が見つからないのである。

実はTumblrへの投稿は、テイラー・スウィフトがスタッフに告げず独断で行ったという話もある。Apple Music限定の特別な配信方法をアップルとスタッフが交渉している最中、交渉内容の一部だけを聴いたテイラー・スウィフトが怒り、先走ってTumblrに声明をアップ、周囲が慌てて火消しに走ったという話である。Spotifyの件は説明できないが、騒動以降の流れに関してはこれでも辻褄は合う。

結局、真相は第三者には分からない。そのためいくつかの可能性の余地を残したまま推測するしかないが、テイラー・スウィフトのビジネスを追いかける中で全般的に感じるのは、多くの優れた経営者がそうであるように、テイラー・スウィフトマーケティングセンスもまた、かなり直感的ということである。

なぜレコード会社のいうことを聴かず16歳でのデビューを急いだのか。デビューシングルの曲名を著名人にするのはいいが、それがなぜティム・マグロウなのか。なぜ著名人とのプライベートな恋愛を歌にするのか。なぜ『Red』で方針転換すべきと考えたのか。なぜ『Red』の先行シングルは、それまでの路線を断ち切るような”We Are Never Ever Getting Back Together”だったのか。なぜ『1989』の段階で脱カントリーを表明したのか。なぜ『1989』の音楽的方向性はEDMではなく80sテイストのシンセポップなのか。なぜ”Bad Blood”でそれまで無縁だったヒップホップの要素を取り込んだのか。不仲が噂されていたケイティ・ペリーを想起させる歌詞にし、美女軍団をPVにしたのか。

後付けの理由を付けることは簡単である。合理的な理由を見つけてくることも可能である。しかし問題は、なぜ結果が見えていない状況でこれらの判断ができるのか、という点だ。成功者とその支持者は成功にもっともらしい理由を付けて一つの物語にしていく。だが計算された戦略以上にその物語に大きな影響を与えているのは、数々の偶然と局面で閃く直感である。

ここまで述べてきたマーケティングストーリーのすべてを否定するわけではない。マーケティングとは偶然と直感によってもたらされた成功の中から汎用化できるパターンを見つけ出し、再現性あるロジックを構築し、その成功のノウハウを他者が活用できるようにするためのものである。マーケティング的な視点で分析することは、一つの成功から多くの成功を生み出すための人類の叡智であり、大事なプロセスである。

ただし、分析対象となるオリジネイターは理屈と一貫性だけで動いていない。時代を読む天才的な嗅覚に、僅かな理論と先人のアドバイス、自らの経験則、人生観をミックスさせて、意思決定している。その中心にあるのが直感である。テイラー・スウィフトもその例にもれず、多くの意思決定が一貫性のある理論ではなく、説明が付かない矛盾を含む直感で行われている。

テイラー・スウィフトがこのような直感的な判断を下すときに最も重視していることはなんだろうか。成功確率だろうか。金額の大きさだろうか。チャートの順位だろうか。

おそらくそれらではない。テイラー・スウィフトが直感を頼りに行動するうえで最も重視しているのは「話題になるか」だろう。もちろん、話題性は影響力になりセールスに返って来るという市場原理は十分に理解しているはずである。そのうえでどういう行動をすれば話題の中心になるか、その一点を最重視し、直感と経験をミックスして意思決定をしている。

このような仮説を立てれば、音楽ストリーミングを巡る一貫性なく見えるテイラー・スウィフトの行動も理解できる。

2014年にSpotifyで配信拒否をした最大の理由は「それが話題になるから」である。もちろん、Spotifyに対する好ましくない印象を持っていたことは事実であろう。しかしそれはYouTubeやラジオも含めた無料聴取全体に対する分析を踏まえた論理的かつ一貫した態度ではなく、「なんとなくSpotify良くない気がする」という曖昧な感情である。音楽ストリーミングの最大勢力となり、音楽業界、テック業界では話題にならない日はないというくらいに注目されているSpotifyで全曲配信を取り下げる。しかもそれは『1989』がリリースされた週という、自身への注目度も最大化している段階で、である。

なぜSpotifyだけ狙い撃ちで、他のサービスでは配信停止しなかったか。それは、他サービスでは話題にならないからである。話題にならないのに収益だけは落ちる。得られる話題性とリターンを直感的に感じ取ったのは、あるいはただ単に無関心だっただけかもしれないが、ともあれ他サービスでは配信を続けた。結果的に、業界最大手のSpotify狙い撃ちだったために大きな話題になった。

そして、なぜアップルがApple Musicを始めるときに声明文を出したか。おそらく伝え聞くようにこれはテイラー・スウィフトの先走った行動だと思われるが、これもまた話題性を重視した直感だろう。アップルが無料期間中、印税を払わないという話を小耳に挟んだ。これは由々しき話だが、アップルという巨大企業に立ち向かうアーティストという構図は美味しい話でもある。ソーシャルメディアを利用してソーシャルバズを起こしてゲリラ的にアップルを攻撃すれば、大きな話題になるだろう。そして突然、Tumblrに投稿した。その後のアップルの和解からの『1989』独占配信、Apple MusicのCM出演は、ビジネスサイドで進められていた既定路線に乗っただけである。

2017年6月、Spotifyへの配信が再開された。一説にはSpotifyの関係者が熱心にテイラー・スウィフトを説得したそうだが、広告モデルの無料プランがあることは変わっておらず、「作品は無料で聴かれるべきではない」という以前の主張との一貫性がない。しかしこれも「Spotifyとの復縁が話題になるから」というだけの判断だったのではないだろうか。実際このことは各種ニュースで取り扱われた。一アーティストが一プラットフォームで配信する/配信しないを決めるだけでもニュースになるのがテイラー・スウィフトのすごいところだが、自身への注目度を十分に理解した上での行動であろう。またタイミング的に新作『Reputation』のプロモーションが開始される直前でもある。Apple Musicがスタートして2年だが、Spotifyの勢力は衰えることを知らず、Apple Musicとの2人勝ちの状況になりつつある。様々な計算もあった上で、直感的に、Spotifyへの復活を決めたのではないだろうか。

テイラー・スウィフトマーケティング戦略は注目されることが多いが、その中でも特に話題獲得戦略の比重が高い。所謂レピュテーションマネジメント(評判の管理)がその中心にあり、手段としてソーシャルメディアを用いている。そしてその判断の根底には常にテイラー・スウィフトの直感がある。考え方やコンセプト、ソーシャルメディアの運用方法など、表面的な部分は多くの企業、ブランド、商材でも参考できるだろう。しかし一方で、テイラー・スウィフトほどの影響力を有していなければ、そして直感と閃きを活かしたスピードの速い意思決定がなされなければ、容易に真似できるものではないともいえる。テイラー・スウィフトマーケティング戦略を深く観察すればするほど、トレンドを観察して成長戦略を立ててSTPをやって差別化してソーシャルメディアを積極活用したら成功した、という簡単な話ではないことが分かる。

14. 過去を殺した『Reputation』

テイラー・スウィフトの6thアルバム『Reputation』は、『1989』から約3年後の2017年11月にリリースされた。2006年のデビューから2年サイクルでコンスタントに新作を発表してきたテイラー・スウィフトとしては、現時点では唯一3年スパンでリリースされたアルバムである。

『Reputation』のリリースにあたっては、『Red』以降で培われたプロモーションの多くが踏襲されたが、ここでも秀逸な話題集めの手法が取られている。

カニエ・ウエスト夫妻との激しい対立、Spotifyとの復縁、ケイティ・ペリーとの確執、1ドルセクハラ訴訟など、『1989』のリリースから2年以上経過した2017年に入ってからもゴシップの中心にいたテイラー・スウィフトだが、8月18日、突然テイラー・スウィフトソーシャルメディアの全投稿が削除された。当然ながら世界中が驚き、メディア、ソーシャルメディアでは様々な噂が駆け巡った。公式ウェブサイトも真っ黒になったことから、これは大規模なハッキングでは?と心配する声もあったが、長年のファンならばこれが新作に向けてのプロモーション開始の合図だと理解できただろう。この直後のTwitterでは「#TS6IsComing」「#TS6」といった6枚目のオリジナルアルバムを期待するハッシュタグがトレンド入りした。

TwitterおよびInstagram上では8月18日から3回にわたり、蛇をモチーフにした不気味な動画がアップされる。

そして8月23日、約3か月後の11月10日に新作『Reputation』がリリースされることがアナウンスされた。【Reputation】は「評判」という意味である。蛇は『Reputation』の象徴的なモチーフであるが、これは再び険悪な関係に陥っていたカニエ・ウエストの妻キム・カーダシアンが、ソーシャルメディア上でテイラー・スウィフトのことを、嘘つきを象徴する蛇の絵文字で揶揄していたことに起因すると言われている。これまで作品の中では明るく健全なイメージを前面に出していたテイラー・スウィフトのブランドを考えると、このようなネガティブな評判に反応した攻撃的な姿勢とダークなビジュアルは新境地ともいえる。ソーシャルメディアをすべて削除したのも、『Reputation』による新生テイラー・スウィフトを意図した演出だったのだろう。

新生テイラー・スウィフトの変化は、翌8月24日にリリースされた1stシングル”Look What You Made Me Do”でも顕著だった。

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[PV] テイラー・スウィフト "Look What You Made Me Do"

エレクトロポップという基本的方向性は『1989』から継承されているが、その印象はかつてなくダークである。ヒップホップ全盛の時代を読んだ低音の効いた重いリズムトラック、メロディをあまり感じさせないラップのような歌唱にも大きな変化がうかがえる。

本作のミュージックビデオはかつてないほど凝った作りとなっており、テイラー・スウィフトに関する以下のような話題が映像のモチーフになっていると言われている。

  • 元恋人カルヴィン・ハリスとの交際と共作にまつわる騒動
  • 男性を束縛する、恋愛体質、といったパブリックイメージ
  • カニエ・ウエスト、キム・カーダシアン夫妻との確執
  • キム・カーダシアンの妹ケンダル・ジェンナーからの皮肉
  • 1ドルセクハラ裁判
  • ケイティ・ペリーとの不仲
  • テイラー・スクワッド(テイラー軍団)に対する批判
  • 元恋人トム・ヒドルストンとの噂
  • マネジメントチームがイメージ戦略を決めているという噂
  • 音楽ストリーミングサービスとの騒動

『Reputation』というアルバムタイトルを象徴するこのミュージックビデオは、メディアを駆け巡る不名誉な評判に対する反撃といえる。もちろんこれは感情的な怒りの発露ではなく、ソーシャルメディア等での人々の反応を予測した上での緻密な戦略があったことは間違いないだろう。

ソーシャルバズのメカニズムを利用したこの戦略は見事に当たった。”Look What You Made Me Do”はSpotifyで800万以上のストリームを獲得し、各国での日間ストリーミング記録を塗り替えた。当然のように、Billboard 100をはじめ、世界16カ国のシングルチャートで1位を獲得し、世界36カ国のシングルチャートでTOP10入りを果たした。

その後、9月3日によりダークな印象のアルバムオープニングトラック”…Ready For It”、10月20日には一転して明るい曲調の”Gorgeous”を公開した後、2017年11月10日に『Reputation』はリリースされた。

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[PV] テイラー・スウィフト "…Ready For It?"

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[PV] テイラー・スウィフト " Gorgeous "

クレジットを見てまず目に留まるのは、デビュー以来プロデューサーとして名を連ねていたネイサン・チャップマンが外れていることである。この一点を取り上げても、本作は新生テイラー・スウィフトと言えるかもしれない。『1989』の成功に大きく貢献したマックス・マーティン&シェルバックは引き続き起用されているが、さらに『1989』では"Out Of The Woods"の1作のみだったジャック・アントノフとの共作が6作と飛躍的に増えている。ジャック・アントノフは"We Are Young"、"Some Nights"のヒットで知られるロックバンドFun.のギタリストである。外部ライターやプロデューサーとしては寡作だが、近年はロードの2nd『Melodrama』やセント・ヴィンセント『Masseduction』などでも注目されている。ただソングライター/プロデューサーとしてはテイラー・スウィフトが見出したといっても過言ではない。

音楽性に関して、”Look What You Made Me Do”や”…Ready For It”の路線を強く押し出し、全体的にダークでモノトーンなムードに支配されている。明るく鮮やかな印象が強かった過去作との決定的な違いである。基本的にはエレクトロポップだが、ヒップホップを意識しているのは明らかで、2曲目"End Game"では盟友エド・シーランとともに人気のラッパー、フューチャーをゲストに迎えている。アルバム全体としても、ダブとトラップの影響が強いリズムトラックが印象的であり、テイラー・スウィフトもラップのような歌唱が多い。ただしアルバム後半の"Gorgeous"以降になるとメロディも目立つようになり、『1989』に比較的近い方向性の楽曲が並ぶ。前半でより大胆な変化を見せつけつつ、後半では前作ファンを意識してバランスを取っているようにも思える。

現時点で『Reputation』はリリースされて1年もたっておらず、未だチャートに在位して売れ続けている状態のため、その商業的パフォーマンスを総括することはできないが、テイラー・スウィフトの絶大な人気を証明する目に見える成果はすでに上がっている。

まず、発売初週で当然のようにBillboardのアルバムチャートでNo.1を獲得。5作連続の記録であり、1stアルバムを除く全作品における全米No.1記録を更新した。リリース初日で70万枚、4日後には105万枚を売り上げ、『Speak Now』以来4作連続でリリース初週100万枚セールスを記録した。これは現行の集計方法が確立した1991年以降で唯一の記録である。また1週目のセールスとしては1991年以降10番目に大きな記録であり、2015年のアデル『25』以来の記録でもある。さらに本作は11月の発売にも関わらず、2017年にアメリカで最大のセールスを記録したアルバムとなった。

15. テイラー・スウィフトは衰退期に入ったのか

このような華々しい初動は、テイラー・スウィフトがデビューから13年、『Fearless』のブレイクから10年たった今でも絶大な人気を誇っていることの証明でもある。しかしながら、様々な数字を比較して見ると、これまでの作品とは異なる動きも見えてくる。

例えば以下は、リリースから20週における各アルバムのチャート順位の推移の比較である。

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『Fearless』と『1989』が11週のNo.1を記録し、『Red』は7週、『Speak Now』は6週となっている。一方で『Reputation』は4週で記録が止まっている。さらに、いずれの作品もリリース後2か月以上経つ10週目まではNo.1になる力を維持しているが、『Reputation』のみ、10週まで持たず7週で下降を始めている。それも過去作品にはない下降速度だ。18週目で多少盛り返すが、その後再び下降をはじめ、20位台で停滞する。

販売枚数、再生回数といった絶対数は、時代背景によって数字が変わる。アルバムが売れない時代は、いかに人気が絶大であってもセールス自体は落ちる。そのため、異なる時代の数字を比較して、人気の高低を単純に判断することはできない。

しかしチャートは相対的な評価の結果である。同時代内での相対的な人気を推し量るのに最適な指標であり、その推移は人気の根強さを判断するのに一定の役割を果たす。このチャートの推移を見る限り、『Reputation』でついに人気に陰りが出てきたも受け取れる。初動の時点で『Speak Now』を下回っていることを考えると、このままテイラー・スウィフトのキャリア史上最も売れなかったアルバムになる可能性が高い。

テイラー・スウィフトの人気に陰りが見える兆候は、Googleトレンドの検索推移にも表れている。

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これは先に紹介したアメリカ国内における「taylor swift」というワードでの検索推移である。 (8)が『Reputation』のリリース月である2017年11月の検索数であるが、明らかにここ数作と比べて山が低い。また、アルバムリリース月よりも(7)の”Look What You Made Me Do”がリリースされた2017年8月の方が多く検索されている。これは、久しぶりの新曲に皆が関心を示したが、様変わりした音楽性に落胆し、アルバムに対する関心が失われてしまった層が一定数生まれたことを物語っている。

さらに興味深いのは2016年6月の検索数を指し示す(6)である。テイラー・スウィフトにとって最も重要なイベントは新曲やニューアルバムのリリースである。検索のピークがこのタイミングに来るのがミュージシャンとして健全な状態である。しかし(6)を記録した2016年6月に音楽イベントは何もない。あったのはゴシップだけである。

2016年6月の月初には人気DJカルヴィン・ハリスとの破局、月末には新恋人の存在が報じられた。また何より話題をさらったのはカニエ・ウエストの妻キム・カーダシアンとの舌戦である。日本にいると分からないが、実はテイラー・スウィフトにはアンチも多い。そしてこの舌戦が、アンチとファンによるネット上での場外乱闘にまで発展した。

この一連の騒動へのアンサーソングが”Look What You Made Me Do”であった。この作戦が功を奏したのか、”Look What You Made Me Do”がリリースされた 2017年8月(7)は2016年6月(6)よやや高い山を記録しているが、肝心の『Reputation』がリリースされた2017年8月(8)は(6)を下回っている。これはニューアルバムのリリースよりもゴシップの方が関心を集めたことを意味している。これではポップスターというよりゴシップスターである。

このように『Reputation』がテイラー・スウィフトの過去作品と比べて低調な滑り出しとなったのは、音楽性の変化に対する拒否反応がこれまで以上に高かったことが要因の一つと考えられる。例えば以下は、Amazon.comにおける各アルバムレビューの採点比較である。

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まずレビュー総数が『1989』の約5分の1に留まっている。遡るとAmazonレビューが今ほど活発でなかった時期も含まれるためにキャリアを通じた比較はしにくいが、直前のアルバムと比べて大幅にレビュー数がダウンしているのは、関心度の低下を表しているといえる。

さらに星1つと星2つを「ネガティブ評価」とするならば、『Reputation』はこのネガティブ評価の割合が今までで一番多い。『Taylor Swift』が2%、『Fealess』が8%、『Speak Now』が7%、『Red』が6%、『1989』が7%、とすべて1桁で推移しているのに対して、『Reputation』は16%も存在する。Amazonにレビューを書くユーザーは一般リスナーと比べてやや偏っている可能性は高いが、それでも『Reputation』が賛否両論作であり、変化を受け付けなかったファンやリスナーが今までになく多かったことが顕在化したデータといえるのではないだろうか。

しかしなぜ、『Reputation』は賛否が分かれたのか。テイラー・スウィフトが音楽性を変化させるのは毎度のことであり、音楽性の変化で今さら賛否が分かれるとは考えにくい。事実、完全ポップアルバムと銘打ってリリースされた『1989』はキャリア史上最大の変化を伴ったアルバムだったが、出世作『Fearless』と並ぶキャリア最高の結果を残している。Amazonのレビューを見ても『1989』に対するネガティブ評価率は7%とそれ以前の作品とほとんど変わらず、好意的な評価で占められている。

『1989』と『Reputation』の比較でいえば、変化に至るまで周到な準備がなされた『1989』に対し、『Reputation』の変化はより唐突で予想外のものだったといえる。これが『Reputation』に対する抵抗やチャート上の失速に繋がった一つの要因ではないだろうか。

『1989』はカントリーを捨ててポップに完全移行したという意味で確かに大きく変化した作品だったが、その方向性は予想できないものではなかった。『Speak Now』の時点からカントリーからの離脱はにおわせており、『Red』収録の”We Are Never Ever Getting Back Together”や”I Knew You Were Trouble.”で『1989』に繋がる音楽性が明確に提示されていた。それらは好評であり、例えカントリーから離脱しても多くのファンを獲得できる見込みが立っていた。さらにいえば、『1989』は確かに音楽ジャンルとしては変化したが、テイラー・スウィフトのイメージ自体の変化はそれほど大きくはなかった。テイラー・スウィフトのイメージとは、明るく、快活で、健康的で、クリーンで、優しく、カラフルで、保守的で、ポジティブなイメージである。

一方、『Reputation』の変化はあまり準備されていないものだったといえる。『Reputation』の大半は『1989』に通じる楽曲であり、変化量としては『Red』→『1989』よりも『1989』→『Reputation』の方が少ない。しかしながら、アルバムリリース前に公開された蛇のモチーフ、”Look What You Made Me Do”や”…Ready For It”、”Endgame”の楽曲イメージ、そしてアルバムのアートワークが『Reputation』のイメージを決定付けた。それまでのテイラー・スウィフトのイメージとは対極の、ダークで、攻撃的で、急進的で、モノトーンで、ダーティーで、ソリッドで、ネガティブなイメージである。

”Look What You Made Me Do”の中で「過去のテイラーは死んだ」と宣言されている通り、この変化はもちろん意図的に、戦略的に行われたものだが、『1989』と比べるとかなり唐突な変化ではある。前兆は『1989』からシングルカットされたNo.1ヒット曲”Bad Blood”にあったが、話題になったのはケンドリック・ラマーが参加したリミックス版である。”Bad Blood”が好調だったのは、ケンドリック・ラマーとの共演やテイラー軍団が登場する豪華なミュージックビデオといった話題性が強かっただけであり、『1989』を気に入ったファンの多くは、”Bad Blood”の方向に行くことを望んでいたわけではなかった。このようなアーティストの意図と市場のズレが、『Reputation』の失速に繋がったのではないだろうか。

成熟期を長期化し、衰退期を避けるには、変化は不可欠である。『Red』『1989』を通じて、テイラー・スウィフトは理想的な変化を華麗に見せた。しかし巨大な成功を収めたブランドが変化し続けることは非常に困難なことでもある。名著『イノベーションのジレンマ』で著者クレイトン・クリステンセンは「偉大な企業はすべてを正しく行うが故に失敗する」と述べている。慢心、官僚主義、血族経営、計画性の欠如、過剰な保守性、市場の読み誤りなど理由は様々だが、いかに優秀な経営者であっても自らを変革し続けることは難しい。

テイラー・スウィフトも、現状維持をせず変化し続けることを、正しく行っている。しかし『Reputation』は過去のアルバムほどうまくは行っていない。攻撃的な『Reputation』のスタイルは、慢心や保守性とは対極にあるが、過去に自ら築いた巨大なブランドとの間にハレーションが起こり、変化の受け入れを拒んでいる。テイラー・スウィフトほどのアーティストになればもはや競合との競争など存在しない。そこにあるのはただ過去の自分との戦いだけである。

誤解してほしくないが、『Reputation』に対する悲観的な見解はあくまで過去作との比較である。『Reputation』は商業的には間違いなく成功作である。2017年最大の販売枚数を記録した作品を、誰が失敗作といえようか。また、近年のテイラー・スウィフトのアルバムの中では最も少ないとはいえ、4週No.1記録は、2017年に発売されたアルバムではケンドリック・ラマー『Damn』(4週)と並ぶ記録であり、並みのアーティストでは真似できない結果を残している。

そもそも『Reputation』はこれまでのパブリックイメージや音楽性に挑戦した作品であり、これまで以上に自らの強い意志を優先させた作品ともいえる。このような市場の抵抗は予想したうえで、それでもあえて挑戦を選択した可能性は十分にある。批判は予想しながら、批判を恐れず、新しいテイラー・スウィフトを受け入れてくれるファンに照準を向け、『Reputation』の方向性を決定したのかもしれない。それでもなおこの成績を打ち立てたのは、流石であるともいえる。

『Reputation』が衰退期の始まりなのかどうか、それは点ではなく線で評価すべきだろう。どんなアーティストでも、長いキャリアの中で多少の浮き沈みはある。賛否両論を招いた作品が、次のマスターピース誕生の布石になることもある。このダイナミズムの中で『Reputation』の真価は問われるべきである。本作が衰退期の始まりなのか、三度巨大な成功を収めるためのガス抜きなのか、あるはさらに過激に変貌と遂げて誰も予想できない境地に到達するキッカケとなるのか、すべては2019年か2020年にはリリースされるはずの次回作によって明らかになることだろう。

余談だが、今後のテイラー・スウィフトには大きなカードが一枚存在する。それは「カントリー回帰」である。確実に大きな話題になるであろうこのカードは、ただし一回しか切れない。そしておそらくこのカードは、衰退期を回避するために切られるだろう。テイラー・スウィフトが今後どの時点でカントリー回帰のカードを切ってくるか、今後のキャリアをウォッチする上での要注目ポイントの一つである。さらにいえばおそらく『Fearless』の焼き直しではなく、ポップを通過した上での新しいカントリーの在り方を提示してはずである。その時にどのような音楽を提示してくれるのか、これも大きな見所の一つであろう。

16. テイラー・スウィフトから学べる12のこと

最後に、デビューから最新作『Reputation』に至るまでのテイラー・スウィフトマーケティング戦略から、私たちのビジネスにおいても学びになることを総括してみたい。

1. 今あるもので工夫する

テイラー・スウィフトのキャリアは、実績がない無名の制作メンバーと小さなレコード会社から始まった。潤沢な資金も知名度もない中、強みを活かし、創意工夫をし、カントリーシーンのトップに立った。ヒトモノカネはマーケティングの源泉だが、ヒトモノカネに制約があるから戦略は生まれる。ないものを嘆いても仕方がない。頭を捻り、手段を選ばず、今の自分ができるベストを尽くそう。

2. 堅実な方法で差別化する

テイラー・スウィフトの基本戦略は差別化だが、無理に差別化している様子はない。自分の強みにフォーカスし、自分が無理なくできることを組み合わせて、自然に差別化している。差別化を意識するあまり、自分に似合わないこと、極端なこと、奇をてらったことはしない。私たちも闇雲に差別化をするのではなく「自分が自然にできる差別化戦略」を考えなくてはならない。

3. 一定のペースでコンスタントに続ける

テイラー・スウィフトは3年の間が空いた『Reputation』を除き、ほぼピッタリ2年サイクルでアルバムをリリースしてきた。長期休暇や活動休止もなく、逆にサイクルを短くするようなこともない。SNSも同様で、マイペースに常にコツコツと続けている。地味なことだが、これもまたテイラー・スウィフトの成功要因の一つであろう。そして今の私たちがすぐに真似できることでもある。

4. 現状維持を選ばず変化し続ける

テイラー・スウィフトが『Fearless』の成功に満足し、似たようなアルバムをリリースし続けたら、現在の地位は確立できなかったはずだ。あるいは一発屋扱いになっていたかもしれない。そうならなかったのは、現状維持を選択せず変化し続けたからである。私たちも同じである。現状維持は長期的には不利に働く。変化を恐れず、自らアップデートし続けなければ、時代の波に飲まれ、やがて力を失うだろう。

5. 大胆な変化を慎重に行う

テイラー・スウィフトの変化は大胆に見えるかもしれないが、その前には必ず周到な準備がある。『1989』で脱カントリー、完全ポップ化するまでに、2枚のアルバムと4年の歳月を費やした。『Reputation』にしても"Bad Blood"という実験があった。唐突な変化や闇雲な猪突猛進は勇気ではなく無謀なだけである。大胆に変わる時こそ、慎重さや周到さを忘れてはいけない。

6. トレンドは読むが迎合はしない

テイラー・スウィフトの変化はトレンドを強く意識したものだが、トレンドのど真ん中に行くことはしない。トレンドを無視すれば運任せになるが、トレンドに迎合すればフォロワーになる。トレンドが去ると自身も去ることになる。トレンドと付かず離れずの関係こそ、人気を長く保つ秘訣である。私たちも安易にトレンドを追わず、自らの強みを自覚し、トレンドと適切な距離を取って行動していきたい。

7. 情報を発信し、主導権を握る

SNSを積極的に活用するようになってから、情報の発信源は常にテイラー・スウィフトだった。積極的な情報発信もまた、成功の大きな要因である。好き勝手に報道するメディアに頼らず、自分自身で情報を発信し、直接ファンとコミュニケーションを取る。SNSを使えば情報の主導権を握るだけでなく、関係性の主導権を握ることができる。積極的に情報発信を続けることは、自らの強い武器になる。

8. デジタルとアナログを分けて考えない

テイラー・スウィフトはデジタルコミュニケーションの達人のように言われるが、その活動は決してデジタルに閉じたものではない。ファンを巻き込んだサプライズイベントのように、そのアイデアはデジタルもアナログも関係ない。SNSはツールの一つに過ぎない。私たちはついデジタルとアナログを分けて考えがちだが、両者を区別せず、本当にやるべきことの視点から手段を選ばず発想しないといけない。

9. 世界観を作り、ともに楽しむ

マーケティングとは商品を売ること。多くの人はそう考え、せっせと商品を売り込もうとする。しかしテイラー・スウィフトがやっているのは「テイラー・スウィフト」という世界観を作り、その世界に入ってきた人々を楽しませること。決してセールスマンにはならず、皆と一緒に楽しむ友人になる。私たちの多くはエンターテイナーではないが、この考えに倣えば、私たちの仕事にも多くの課題が見えてくる。

10. 話題を提供し続ける

テイラー・スウィフトが継続的に影響力を高めていったのは、良質な音楽を提供しただけでなく、常に話題を提供したからである。その中にはゴシップも含まれるが、そのことを含めて、話題の中心にいることがポジティブに働いてきた。私たちも、黙々とマーケティングをするのではなく、いかにすれば顧客や業界の話題に上り、記憶に残るかという観点から、できることを考えなければならない。

11. 批判を恐れない

順風満帆に見えるテイラー・スウィフトだが、実はアンチも多く、業界内の敵も少なくない。さらには奔放な男性遍歴故に男女間のトラブルも多い。しかしそういったネガティブな評価に過大に受け止め、自らの歩みを止めることはしない。自らを支持するファンを喜ばせることを最優先に考え、行動する。私たちも批判を恐れず、認めてくれる人の存在に目を向け、自らの意思で前に進むべきである。

12. 直感を大事にする

計算高く見えるテイラー・スウィフトだが紐解くと謎も多い。おそらく、周到な計画や緻密な計算と同じくらい、理由なき直感を大切にしているからであろう。論理性や一貫性は足枷にもなりえる。時には直感を信じ、直感を実現させるために行動することも重要だ。失敗を恐れて根拠を探しまわるのではなく、直感に従って意思決定し、力強く行動していくことは、私たちもしばしば求められることである。

さいごに

テイラー・スウィフトのように巨大な成功は、天才的なセンスとカリスマ的な魅力が不可欠であり、自分たちには縁がないものと考えがちだが、そこには数多くの地道な努力の積み重ねがあり、普遍的なセオリーも多い。私たちのビジネスに応用できることも多い。本稿に書かれたことの多くが推測交じりではあるが、テイラー・スウィフトマーケティング戦略が、皆さんのビジネスがより良くなるためのヒントになれば幸いである。

最後に、私のSpotifyのプレイリストを共有しよう。私のテイラー・スウィフトお気に入りプレイリストである。個人的な趣味を交えながらも、初心者にとって入門編になる様なプレイリストを目指して構成した。本エントリーを読んでテイラー・スウィフトに興味を持った方は、是非聴いてみてください。

open.spotify.com

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※1

『1989』までのアメリカ国内におけるアルバムセールスは、2017年11月26日にビルボード誌で発表された以下の記録を参考にしている。

2006年『Taylor Swift』・・・570万枚
2008年『Fearless』・・・710万枚
2010年『Speak Now』・・・460万枚
2012年『Red』・・・440万枚
2014年『1989』・・・610万枚

www.billboard.com

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※2

チャートアクションについては、特に記載がない限り、アルバムはBillboard 200、シングルはBillboard Hot100の記録を引用している。