3,500枚のCDを捨てた話(追記アリ)

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先日、ついに約3500枚のCDを捨てる決心が付きました。

今日はそんなお話を中心に、私のCDと音楽への愛を一方的に語りたいと思います。CD世代の方々には懐かしい話多めです。目次はこんな感じです。

  • 私を魅了したCD
  • 薄れるCDの存在感
  • ストリーミングで音楽は愛せない?
  • 捨てられなかったCDもある
  • 私に捨てられたCDたちの行方
  • 公開後の反応に対する追記

私を魅了したCD

音楽に関心を持ち始めるのは普通は中学生くらいだと思うのですが、私はかなり遅くて19歳の時でした。つまり、10代はほとんど音楽に興味を持たず過ごしました。高校時代、友人に「これ聴いてみなよ」とCDを渡されたのですが、CDの取り出し方が分からず「これどう開けるの?」と聞き返した覚えがあります。

音楽と縁遠かった私は、1992年の春休みに自宅で観た『ターミネーター2』の主題歌、ガンズ・アンド・ローゼズの"You Could Be Mine"に衝撃を受けました。全身に電流が走ったようになり、この曲が聴きたくて仕方なくなりました。

音楽を自分で買ったことがなかったので、すぐ買うという発想にならなかったのですが、一週間くらい経ってもどうしてもその曲が忘れられず、生まれて初めてCDショップというものに足を踏み入れました。ジャンル分けされた陳列方法も、どのアルバムにその曲が入ってるかも分からなかったので、店員さんに聴いてアルバム『Use Your Illusion II』を見つけて購入しました。自分の意思でCDを購入した最初の体験です。

余談ですが、友人が薦めるCDを友人に買ってきてもらったことはそれ以前にありました。それがジョー・サトリアーニ『Surfing With The Alien』と『Flying In A Blue Dream』です。初めて自費で買ったCDとなるとこの2枚になるのですが、些細な話だし、ジョー・サトリアーニの話をして通じることがほぼないので大抵「最初はガンズ」と言ってます。

話を戻して、特に人に自慢できるような趣味も特技もなかった私にとって、音楽はすぐに一番の趣味になりました。ただ既にバンドを始める年齢でもなかったので、音楽が趣味といってもバンドや演奏はせず、ただ聴き手として音楽に詳しい、というだけでした。音楽が好きなのに特にバンド活動もしてない私にとっては、持っているCDの所有枚数だけが、音楽への熱量を証明できるバロメーターでした。

例えばクイーンが好きという人は周囲にそれなりにいました。しかし私は全アルバムを持っていました。問題作『Hot Space』もほぼサントラの『Flash Gordon』ももちろん持っていました。ブライアン・メイのソロもロジャー・テイラーのソロも揃えていました。当時数万円したフレディ・マーキュリーのCD10+DVD2枚の限定セットも持っていました。その時点で発売されてたオフィシャルのライプビデオも全部持っていました。

これらを所有してることで「オレはそこらのクイーン好きとはワケが違うぞ」と言えたわけです。改めて振り返るとなかなか痛いオタクで、書いてて自分でちょっと引きました。

私が音楽にのめり込み始めた大学の頃はまだネットがなかったので、雑誌やムック本、古本屋で売ってる書籍などから情報を入手していました。特に『ビルボード50年の歴史』みたいなタイトルのまとめ本は、私が知らない80年代以前の歴史を後追いで遡るのに非常に役立ちました。

このようにして可能な限りあらゆるところから音楽の情報を集め、その中で紹介されていた名盤をワープロで作った「購入リスト」に入力し、その最新版を印刷して常時持ち歩いていました。今ならネット+スマホで済むことです。面倒なことに時間を費やしてたものです。

このリストを持ち、毎週のように秋葉原に行って、レコファンディスクユニオン、リバティをハシゴして中古CDを漁っていました。新作は主に大学の帰りに池袋のヴァージンメガストアもしくはHMVで買っていました。ポイントもガンガン貯まりました。バイト代の大半はCDに使っていました。

この頃の主な音楽の聴き方は、自宅ではCDラジカセもしくはCDコンポ、屋外ではカセットテープのウォークマンとCDウォークマンの併用でした。外出時には常に20枚くらい入る携帯用CDケースを持ち歩いていました。

外出する前に「今日はどのCDを持っていこうかな」と選ぶわけですが、ものの1時間もすると好みが変わり、聴きたいCDが家にあって今は聴けない、ということがよく起こりました。また駅のホームで立ちながらCDを交換して失敗して地面に落とす、ということもよくやっていました。

カセットのウォークマンは自分で作った、土曜日の深夜にやってたラジオ『Power Rock Today』を録音して聴くことと(伊藤正則さんの影響は相当受けました。今でも好きな音楽評論家さんの筆頭です)、ミックステープを聴くために使っていました。ミックステープ作りは大好きでしたが、今のプレイリスト作りと比べると面倒くささが半端ではありません。

テープの再生時間が決まっているので、まずは紙に曲目と分数を書き出して入念に計画を練るところから始まります。この計算をミスると、A面の最後の曲だけ途中で切れることになったり、A面とB面の間に長い空白ができたりします。

曲間にもこだわり、0.数秒刻みで一番カッコよく繋げることに命を燃やしていました。

こうして丹精込めて自作したミックステープのラベル作成には「レタリングシート」という、指やペンでこすると文字を転写できるシートを使っていました。今も売ってるみたいですが、こういうやつです。

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基本的にやり直ししにくいものなので、一文字一文字を間違えないよう、スペルミスしないよう、斜めにならないよう、細心の注意を払って1時間くらいかけてラベルを作っていました。もちろんミックステープをBGMで聴きながら。

話は再び戻ります。

音楽好きの私の就職活動は当然ながらレコード会社第一志望でしたが、就職氷河期まっだ中であること以前に、性格的に業界人になれそうもないことを見抜かれ、予想通り全滅しました。そして就職浪人をし、1997年にSI系の会社に就職しました。

社会人になって、自由な時間は減りましたが、お金には少し余裕が出ました。当然ながら、社会人になっても音楽への熱はまったく冷めず、学生時代以上にCDを消費し続けました。

この頃の主な活動エリアは渋谷でした。週末になると渋谷に行き、まずはHMVタワレコで入荷したての新作を試聴して気に入ったものを購入。その後旧作を漁るためにレコファン渋谷店に行ってました。そして日曜日に特に予定がなければ、西新宿の小滝橋通りでまたCD漁り。もう店名がうろ覚えなのですが、DISC HEAVEN、DISC GOLD、新宿レコード、ラフトレード、あとはガレージ系とかパンク系のよりディープなお店で過ごしていました。

こうして、一日で4〜5時間はぶっ続けでCDショップで過ごしていましたが、当時はそれが普通で、生きる上での一番の楽しみでした。(あともちろんライブもそれなりに行ってましたけど、この記事のテーマはCDなので詳しくは割愛)

そういえばCDはレコードと違って「永遠に音質が劣化しない」というのが売りだったと思いますが、一時期、それは理論上の話で実際にはCDの内側が腐食したり劣化したりして早ければ20~30年で聴けなくなる、みたいな噂が流れて、愕然としたことがありました。

そんなことになったらどうしよう、全部CD-Rに焼き直して複製すべきか、などと真剣に悩みました。しかしこれも最高レベルの杞憂でした。まさかCDが腐食するより先に自ら進んでCDを捨てる日がやってくるとは。未来のことなんて本当に分からないものです。

薄れるCDの存在感

2001年、退屈だった会社を辞めて28歳でデザイナーに転身し、30歳で結婚しました。それからの数年間は、自由に使えるお金も時間もかなり減ってしまいました。しかし音楽は相変わらず好きでした。

私の場合、懐かしい音楽よりも新しい音楽が聴きたいタイプなので、週末のCDショップ巡りは止められませんでした。じっくり試聴してどうしても欲しいCDは買っていました。

しかし、この頃からネットの影響を受け始め、それまでの音楽にまつわる行動パターンが変化していきます。

まず、私の音楽人生から音楽雑誌が脱落しました。

ネットを使い始めると、情報収集の手段はすぐネットに移っていきました。1998年頃からは音楽サイトを開設し、サイトに来る訪問者や相互リンクしてる人たちと掲示板で情報交換していました。好きな作品を聴くだけでなく、レビューやライブレポを書いてネット上で語り合うのが音楽の楽しみ方に加わりました。

 一方、月単位でしか最新情報が届かない、過去記事の検索ができない、レビューといいながら事実上セールスコピー(BURRN!誌を除く)、といった性質の音楽雑誌は、もはや私にとって魅力の薄いメディアでした。ネット上で交換される噂も含んだ先取り情報、ファンの熱い思い、文章は拙いが利害関係のない本心で書いたレビューの方が、私にとっては遥かに魅力的でした。全盛期はBURRN!、ROCKIN' ON、CROSS BEAT、MUSIC LIFEを毎月買っていた私も、徐々に買わなくなっていきました。

ネットの世界にハマるにつれ、私の音楽人生はますます変質します。

音楽雑誌の次に脱落したのがCDショップでした。大きな影響を与えたのはAmazonYoutubeです。

2007年頃から私は会社から独立してフリーランスになり、経済力と時間も取り戻し、自宅でPC向かって大半の時間を過ごすようになりました。この頃はAmazonYoutubeを使い、CDの購買行動をほぼPCで完結させていました。

実は今から2年ほど前に、約5年ぶりくらいにタワレコに行く機会がありました。懐かしいと思ったのは一瞬だけ、以下のような不便な体験の方が気になってしまいました。

・目当てのアーティストや作品がすぐに検索ができない
・目当てのアーティストが思ってた棚と違う棚にあった
・目当てのアーティストを見つけたがアルバムがなかった
・とにかく探すのに店内を歩く必要がある
・店内ポップは売りつけようという絶賛文ばかりで信用度ゼロだった
・周囲の目を気にしながら慣れないヘッドフォンでの試聴が居心地悪かった

それまではまったく自覚していませんでしたが、デジタルによる音楽体験の進化は予想以上でした。あれだけの時間とお金を捧げた大好きなCDショップを、もう楽しめなくなっていました。浦島太郎状態でした。

そして2010年頃には、ついにCDが脱落しました。デジタルダウンロードへの移行を決心したためです。そしてこの決断に至るには、ある一つのデバイスの存在が伏線となっていました。それがiPodです。

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iPodは2004年ごろから使っていましたが、これによってデジタルデータで音楽を聴くことが標準になりました。CDは最初にデータを取り込んだらあとは用がなく、CDラックに直行するようになりました。iPod以降に購入したCDのほとんどは、データを取り出す時の1回しか使用していません。

またこの頃、旧譜はTSUTAYA DISCASを活用してました。月額2,000円で最大8枚まで自宅に郵送してくれたのでかなり重宝しました。到着したCDはすぐにデータを抜き、返却していました。これにより、データは持ってるけどCDは持っていないことが当たり前になりました。私のPCにはそれまで以上のスピードで音楽データが貯まっていき、CDを所有する必然性は急速に薄れていきました。

デジタルダウンロードへの移行を促した決定打はそれ以外にもありました。まず聴きたいと思った時にすぐに聴けるという点です。AmazonでCDを頼んでもその瞬間から聴き始めるのは不可能ですが、デジタルダウンロードならそれが可能です。そしてCDを買うより少し安いというのも大きな決め手でした。

こうしてCDでしかリリースされない作品以外、CDを一切購入しなくなりました。

そしていよいよ2015年、Apple Musicが上陸し、国産サービスも乱立し始め、私も音楽ストリーミング(以下、ストリーミング)への移行を始めました。音楽をデータ化して聴くことに慣れていた私にとっては、ストリーミングへの移行に抵抗はありませんでした。

とはいえ、実はApple Musicだけを使ってる時点では、ストリーミングメインの生活にはなりませんでした。UIやサービスが未成熟でしっくり来なかったからです。また、それまでに構築したライブラリと住み分けたいとか、スマートプレイリストを維持したいとか、カタカナ表記と英語表記のアーティストが混在するのが気持ち悪いとか、色々面倒なことを引きずっていて完全移行ができませんでした。

しかし2016年9月にSpotifyが上陸し、晴れてストリーミングがメインになりました。ついに私の音楽人生から「音楽を所有すること」「音楽を購入すること」が脱落しました。

どうしても聴きたいアーティストでもない限り、Spotifyで配信されてない新作を聴くことはありません。既に知ってて大好きなアーティストなら、Spotifyで配信されず、CDでしか発売されなければ、私はそれを買うでしょう。しかし、まだ私が聞いたことないアーティスト、あるいはこれからデビューするアーティストの場合、Spotifyで配信されないでCDだけでリリースされることは、私にとってはこの世に存在しないに等しくなります。なぜなら、Spotifyで聴ききれないほど多くの素晴らしいアーティストとの出会いがあるのに、CDでしか聴けないアーティストをわざわざ聴いてみようとは思わないためです。

そしてiTunesで作っていたプレイリストもほぼSpotifyに移行し、Spotify以外の音楽アプリを立ち上げることがほぼなくなりました。

そして家では、大量のCDだけが取り残されていました。

実はストリーミングに移行するかなり前から、毎年大掃除のたびに「CDはいつ捨てるの?」と妻に言われていました。CDの存在意義は、iPodが登場したあたりから薄れ始め、デジタルダウンロードに移行してからはほぼ失われました。

しかしそれでもCDを捨てる決心はなかなかつきませんでした。その度に「まだちょっと今は…」と渋っていました。

聴いてないCDを所有することに何故そんなに抵抗したのでしょうか?

それはCDが大学以来の自分を支えたほぼ唯一ともいえる、アイデンティティだったからです。それを捨てるというのは、19歳で音楽に目覚めて以来、自分が夢中になって費やしたお金や時間が無駄だったと、自分の人生を否定することのような気がして、どうしても抵抗がありました。

しかしこのたび決心が付きました。これもSpotifyのお陰です。Spotifyによる快適な音楽体験によって、音楽を所有したい気持ちがなくなりました。20年以上におよぶCDの呪縛から、私は解放されたのです。

さようならCD。今まで私の音楽を彩ってくれてありがとう。これからの残りの人生は音楽を所有せずに音楽を愛していこうと思います。

ストリーミングで音楽は愛せない?

2017年、世界市場ではストリーミングが最大の収益源となり、音楽市場の拡大に一役買ったそうです。そんなニュースもあってか、ストリーミングに否定的だったアーティストの作品も最近は徐々に配信されるようになってきました。

しかしSNSなどを見ていると、未だにCD派はそれなりに存在してるようです。最近はだいぶ減りましたが、「モノを買って手にするから愛着が湧くんだ」「ストリーミングなんかでは音楽を深く愛せない」などというCD派の方の主張もしばしば見かけます。

でもこれは本当にそうでしょうか。

CDに人生の多くを捧げてきた私でさえ、ストリーミングを聴くことで音楽への愛が醒めたように感じたことはありません。

例えば私が好きなクイーンズ・オブ・ザ・ストーン・エイジというアーティストを知ったのは2000年のことで、CD、デジタルダウンロード、ストリーミングとそれぞれのフォーマットで新作を体験しています。

しかしCDでなくなっても、モノとして所有しなくなっても、彼らが好きだという気持ちに特に変化はありません。それどころか2017年にリリースされてSpotifyで聴きまくった『Villains』は彼らの最高傑作と思っていたりします。

もしモノじゃなくなったり、所有しなくなったりすることで音楽を愛しにくくなるのだとすれば、Spotifyで聴いた新作を過去最高傑作だと思うようなことは起こらないはずです。

かつて私を音楽に目覚めさせたガンズ・アンド・ローゼズの"You Could Be Mine"だって、CDで聴こうが、Spotifyで聴こうが、そのカッコよさに何ら変わりありません。

よくよく考えれば「モノとして所有しないと愛せない」「ストリーミングだと本当に好きになれない」というのはおかしな話です。

音楽というのは、物体として存在しないと、購入するという体験を伴わないと、それだけで魅力を失う程度のものなのでしょうか。それこそ音楽の力を軽視してるのではないでしょうか。良い音楽とは、所有形態や配信方法など関係なく、人の心を揺さぶるもののだと私は思っています。そんな私の方が音楽理想主義者かもしれません。

前述のようなCD派、ストリーミング否定派の方々はおそらく、ストリーミングを体験していない、食わず嫌いで先入観が強い方が多いようにも思います。

でも、安心してください。

私程度のCDに対する人生の捧げ方では、がっつりストリーミング(というかSpotify)に魅了されてしまいました。それほどストリーミングというものは魅力的です。私ほどに時間もお金もCDに費やしてこなかった人は、もっと抵抗なく受け入れられるでしょう。私よりもCDに人生を割いた方については知りません。

あくまで所有にこだわるというのなら、アナログレコードの方がまだ良いように思います。あれだけ大きなものは所有してる感も強いですし、あんなに扱いづらくて聴き辛くて保管に気を使うものを耐え忍んで聴くだなんて、愛情以外の何物でもありません。それと比べるとCDというのは、私にとってはどうにも中途半端です。

またしばしば「ストリーミングはアーティストを搾取する」と言われることもありますが、私としてはこの考えにも懐疑的です。

私は権利関係には詳しくないので、新作をCDで購入するのと、ストリーミングで聴くのとで、結果的にどちらの方がアーティストに多くのお金が入るのかはよく分かりません。

ただ、5年前、10年前に、20年前に買ったCDを聴き続けてもアーティストに一切お金は入りません。そしてストリーミングで聴けば、聴いた回数分だけのお金が、それは僅かかもしれませんが、再びアーティストに入っていきます。

私が好きなアーティストには商業的にはあまり成功していないアーティストも多いため、昔買ったCD(から取り込んだデータ)をいつまでも聴くのではなく、ストリーミングで聴いてあげた方が今の彼らを経済的に支援することになるのでは、と思ったりもします。

色々と事情があるのかもしれませんが、ストリーミング各社も、聴き放題ばかりを謳うのではなく、アーティストに貢献するカラクリをもっと分かりやすく大々的に広めればいいのになと思います。

「ストリーミングはアーティストを搾取する」という誤解を丁寧に説いていくことは、日本におけるストリーミングの普及スピードにも大きく関わるんじゃないかと思うわけです。

捨てられなかったCD

このように、Spotifyの影響を受けてCDをバッサリ捨てようと決断したわけですが、それでも捨てられないCDがありました。例えばこれです。

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言うまでもなく、私が自分の意思で初めて買ったCD、ガンズ・アンド・ローゼズの『Use Your Illusion II』です。

見ての通りボロボロで、表紙と裏表紙がブックレット本体から取れてしまっています。なぜこんなにボロボロなのかというと、CDを聴くたびにブックレットを取り出し、歌詞を見たり解説を読んだりしながら何度も聴いたからです。CDの内側にはブックレットをひっかけるためのフックがあるのですが、特にそこと擦れる部分が削れたように破れています。

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中を開くと、ページ中央の下の部分が少し黄色く変色しています。これはようするに手垢なのですが(汚くてすみません)、この部分に指を置き、常にブックレットを見ながら手垢が残るほどに聴き込んだことを物語っています。

こんな風に、注ぎ込んだ情熱が目に見えるように残るというのはモノであることの一つの良さだと思います。私はこのボロボロのブックレットを見て、このCDを捨てるのはやめようと思いました。このCDは私が死んだ時に一緒に燃やしてもらうことにしました。

もしかしたらモノ重視派の方はこれを見て、「ブックレットが壊れるほど夢中になれるのは、やっぱりモノだったからじゃないか」と主張するかもしれません。しかしおそらくそれは的外れで、CDであるかどうかは実は関係ないと思っています。

このCDのブックレットがこんなにボロボロになったのは時代のせいです。もっと分かりやすく言えば、情報がほとんど無い時代だったからです。

この当時、私がガンズ・アンド・ローゼズの情報を手に入れたいと思ったら、真っ先に当たるべきは音楽雑誌でした。

しかし音楽雑誌は毎月ガンズ・アンド・ローゼズを扱ってるわけではありません。最新号にはその時新作を発表するアーティストを中心とした記事しか載っていません。

そこで、ガンズ・アンド・ローゼズの情報を手に入れたければ、バックナンバーを漁るという初心者にはややハードルの高いことをしなければいけません。そして万が一探し当てられたとしても、情報やインタビューが載っているのは数ページのみです。

こんな状況だから、ブックレットに掲載されている歌詞やライナーノーツも、当時は貴重な情報源だったのです。だから何度も出し入れをしてボロボロになってしまったのです。

今の時代に、私が音楽に開眼したら、ブックレットがこんなにボロボロになることはなかったでしょう。まずWikipediaを読み、Amazonのレビューを読み、個人ブログの解説を読んだはずです。最近は機械翻訳の精度も上がってることから、英語圏の情報も漁ってたと思います。でもその方が、音楽体験としては幸せな気がします。

私も若い頃からもっと情報にまみれたかった。そうすれば情報収集意欲の全てをブックレットにぶつけてボロボロになることもなかったでしょう。

私に捨てられたCDたちの行方

さて、タイトルには「捨てた」とやや刺激的な書き方をしましたが、正確にいうとCDたちの行方は所有、譲渡、売却と3パターンに分かれました。

まずSpotifyで配信されていないものは所有し続けることにしました。Spotifyで配信されてないかを確認しながら棚を整理したので、これは結構面倒くさかったです。ちなみに私は日本の音楽はあまり聴いてなくて、CDは200枚くらいしかなかったと思うのですが、Spotifyで配信されてないアーティストが多くて、結果的に残った棚の日本人比率が一気に上がりました。

Spotifyで配信されていないもの以外では、前述の『Use Your Illusion II』や、知人の作品など、特別な思い入れや人間関係がある作品も手元に置いておくことにしました。

こうして精査した結果、手放すと決めたもののうち、約300枚は譲渡しました。

実は、最初は本当にCDを捨てようと思っていたのですが、そのことをFacebookで告知したところ、友人から「うちの息子に譲ってくれないか」というメッセージをもらいました。

息子さんはまだ小学生とのことなのですが、好きなアーティストはグリーン・デイニルヴァーナジミー・イート・ワールドマイ・ブラッディ・ヴァレンタインビートルズから始まって、オルタナグランジ、オアシス周辺、エモ、パンクに興味が広がってるという、とんでもない小学生です。19歳からロックを聴き始めた私からすれば羨ましいばかりの人生です。

そんな少年の音楽人生の糧になるのであればということで、約300枚ほどをピックアップし、段ボールに詰めて郵送しました。

キャッチーなパンクっぽいのが好きみたいなので、その辺で聴きやすいもの、あとはロックの名盤・定番系、有名アーティストのベストアルバム、それと個人的にオススメしたいものを混ぜ混ぜしてお送りしました。

譲渡したCDのリストは末尾をご覧ください。

さて、自分で所有する分と友人の息子さんに譲渡する分を除いた残りのCDですが、これは買取業者に買い取ってもらいました。

買取業者はネットで検索するとたくさん出てきます。自宅まで取りに来てくれるところも多く、ネットの情報だけではかなり迷ったのですが、最初の窓口の方も次の買取担当の方も電話対応がとても良く、引き取りの日程もすぐに決めてくれたレコファンに決めました。

買取担当の方はレコファン渋谷店からいらっしゃったのですが、私のCDの何%かはレコファン渋谷店で買ったものなので「買い取ってもらう」というより「お返しする」ような気持ちにも少しなりました。

それと買取担当の方に「これスゴイ量ですね。もしかして音楽のお仕事をされてる方ですか?」と言われたことは、人生最後の「CDを所有しているが故の喜び」になりました。ありがとうございます。

ちなみに今CDを売る人はやはり多いみたいです。「なんで売ろうと思ったんですか?」と聴かれたので「ストリーミングでしか聴かなくなったので」と答えたら「やっぱりそうですよねぇ」と、似たような理由で売る人が多そうな感じでした。

また、私は最初は本気で捨てるつもりだったのですがどうすればいい分からずひとまずゴミ袋に入れてしまったのですが、梱包は運びやすいように改めてレコファンの方がしてくれました。これから売ろうと思っている方は、棚にあるままで大丈夫です。こんな感じで段ボール持参で梱包してくれます。

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量が多いのでもちろん私も手伝いました。

あと私は一時期、収納の問題で300枚くらいのCDのケースを捨ててソフトケースに入れてしまったのですが、それもきちんと受け取ってくれました。ただ、ケース破損扱いで若干買取額が減額されるそうなので、将来売却を想定されている方はソフトケースに入れずにそのまま持ってた方が無難です。

なお、レコファンさんは電話だけじゃなく、来てくれた担当の方もとても感じが良かったです。レコファンさんはスタッフ教育が行き届いてそうで好印象でした。

というわけで、CDの大量処分ならレコファンがオススメです。

というわけで、以下が友人の小学生の息子さんにあげたCDのリストです。全部好きになってくれるとは思わないし、10年後20年後にならないとよく分からないものもあると思いますが、この中から一枚でも「人生の名盤と出会えた!」と思ってもらえたら私としては本望です。(3,500枚全部のリスト見せてといった声もありましたが、タイピングするのがすごく面倒くさいのでそれはしません。) 

小学生に譲渡したCDリスト

公開後の反応に対する追記

はてブTwitterでいくつかコメントいただいているので、自分が面倒じゃない範囲で補足説明しておきます。

(コンテンツを太らせるだけのくどくどしい内容なので、ここまでで満足いただいている方は、読み飛ばしていただいて構いません)

※ 「Spotifyなくなったらどうするの?」というコメントをよく見かけますが、そこは割り切っています。つまりその時は、なんらかの代替サービスに移行する、デジタルデータかCDを買い直す、ということです。所有してたCDはほとんどデジタル化してデータで持ってるので、Spotify以降に気に入った作品だけ買えばいいですし。

今までのテクノロジーの趨勢を見ていると、Spotifyがなくなる可能性はありますが、代替手段がなくなる可能性は低いのでは、と踏んでいます。

また「あれがなくなったらどうしよう」と保険をかけているとキリがないところもあって、結局発生確率をどう予想してどう判断するか、ってことだと思いますが、CDがないと永久に聴く手段がないということは、私が生きてる限り起こらないのかな、もし起こったときは、「耳が聞こえなくなる病気になった」「音楽を楽しめない脳の病気になった」と同列で諦めよう、と腹をくくりました。

※ 音質の問題に言及されている方も比較的多いですが、そういう意味では、私は音質に鈍感なのだと思います。気が付かないわけでもないのですが、ずっと聴いてると慣れちゃうところがあり、最高品質設定にして、あとは好みのイヤホンやスピーカーを買うことで自分をごまかせちゃうところがあります。ストリーミングの音質が気になる方は、確かにまだ移行しない方がいいと思います。

※ 「既にバンドを始める年齢でなかった」ということに、「バンドを始めるのに年齢なんて関係ないのでは?」という指摘がありますが、これは私の書き方が悪かったです。「バンドもしてみたいと少し思ったこともあったけど、周囲に同じような音楽の趣味を持ち、かつ未経験で、今から一緒にバンドやろうよ、と言える友人もおらず、何より私自身が演奏するという行為に、聴くという行為ほどには前のめりになれなかったので」というのが正しいです。

今は人生の優先順位がハッキリしてるので、今から楽器をやるという選択肢はありませんが、年を取って時間ができたら楽器やってみようかな、という気持ちは少しあります。ただもしかしたら楽器じゃなくてデジタルで音楽作る方に行くかもしれませんし、もちろん一生何もしないかもしれません。

※ 私はストリーミングを「メイン」にしただけで、他の手段を一切やめたわけではありません。当然配信されていない中に聴きたいアーティストや音源もあるので、それはデータで聴いてます。でもCDは聴かないですね…。余談ですが、Spotifyはローカル上のデータも取り込んで同じUI上で聴くことができます。あと、CDでしか入手のしようがない、という作品は一応買ってます。ほとんど買った記憶ないですけど。

※ 小学生にあげたCDリストを見て「こんなメジャーなのしか聴かない人だったらストリーミングでいいだろう」みたいな発言も見かけましたが、そもそもこれは「Spotifyにあるので私は不要なのであげたものリスト」ですから、これを見て「Spotifyでいいだろう」っていう人は、情報の親子関係が破綻してて、頭の中で話が整理できないと思われます。最後のリストだけ見て脊髄反射してるだけなのでしょうけれど、おっちょこちょいさんたちのコメントと思われます。

それと、これは小学生に合わせたあくまで入門者用のセレクトでマイナーなものやマニアックなものは外してます。デスメタルとかブラックメタルとかもうちょっと大人になってから聴いた方が良さそうなモノも外しています。(といいながらSlipknotやMarylin Mansonみたいなのは入れてるけど)

90年代末にガレージロックにハマった頃は、国内大手や西新宿界隈のレコード店でも入手できないアーティストの作品が多かったので、スウェーデンやドイツ、アメリカの通販ショップから空輸してた時期もありました。「日本国内にこのCD持ってるのおそらく私だけでは?」といえる作品もそれなりに所有していました。

これは北欧を中心とした世界のガレージロックにテーマを絞って運営していた、私の3代目のサイトです。

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こうして海外から入手したマイナーな作品をレビューしたりアーティストの紹介文を書いたりしていました。おそらくここで紹介してもほとんど誰も知らないアーティストの名前しか出てこないでしょう。

すごくニッチなサイトではありましたが、日本ではここでしか知りえない情報ばかりだったこともあり、音楽評論家の方からメッセージをいただいたり、BURRN!誌の白黒ページ内のおすすめサイトで紹介されたというのは良い思い出です。

こういって入手したマニアックなCDでも、Spotifyで配信されていたものが半分くらいはありました。さすが欧米のサービスというところですが、私が恐るべしSpotifyと思った理由の一つです。Spotifyで配信されていない作品はキープし、Spotifyで配信されていた作品は当然レコファン行きしましたが、多分日本ではニーズが皆無な作品なので最低価格しかつかないはず…。

それと、リストがメジャーよりなのは、先方のお父さんが結構なインディーロックマニアでそれなりのCDを所有してて、それらを外してるからというのもあります。

個人的には、「マイナーな音楽聞いてる自慢」と「幅広く音楽聞いてる自慢」はダサいと思うし、自分がマニアの中のマニアだとも思ってませんし、マイナーかメジャーかにこだわること自体好きじゃないのであまり言及したくなかったのですが、かといって「ただのミーハーなおじさん」と思われるのもさすがにちょっと嫌だったので、一応最低限の補足です。

これを読んでも「やっぱりミーハーな奴だ」「聴いてる音楽の底が浅い」というのであればきっとそうなのでしょう。私なんかよりもずっと詳しいマニアの人がそう思うのだから仕方ないですね。

ただ、リストにあるThe (Internatinal) Noise Conspiracy、Randy、Bombshell Rocks、Last Days Of Aprilなどは日本でも聴いてる人がそんなにいるアーティストではないと思うのですが、これらですら「ミーハーバンド」と言い切れるほどに知ってる方なのだとしたら、むしろ色々教えてほしいので仲良くなりたいです。よろしくお願いします。

※ 「洋楽ファンだから移行できたのでは?」という意見がありましたが、これはその通りだと思います。

洋楽に関してはかなりマイナーなアーティストも配信されてて(メジャーなのにあのアルバムだけ欠けてる、みたいなのも確かにありますが)、さらにライブ盤やリミックスなどCDでは入手しにくい音源も多数存在してて、ストリーミングの方が優位を感じました。

ただやはり、日本人は人気のある有名アーティストでも欠落が多いです。私自身は日本人アーティストをほとんど聴かなくて本当にメジャーどころしか聴いてないのですが、それでも未だにSpotifyにないブランキー、初期の椎名林檎ラルクドラゴンアッシュ、ハイスタなど、青春を彩ってくれたCDはまだ手元に残す判断をしました。

日本人のマイナーなのになると、状況はもっと厳しいと思うので、その辺好きな人はストリーミングへの移行はまだ難しいと思います。

※ 「小学生じゃなくお父さんが欲しかったんじゃないの?笑」という冗談っぽいコメントもありましたが、一応言及しておくと、そんなことはありません。

お父さんは良く知ってる人でめちゃくちゃロック好きで音楽詳しいし、CDやアナログたくさん持ってる人です。エモ、パンク、オルタナ、ポストロック、エレクトロニカといったインディーミュージックにすごく詳しい人で、その辺は外して、逆にメタル系とかメジャー系は私の方CDを持ってる感じだったので、以下のようなリストになりました。

※ 小学生にあげたリスト、「超名盤のアレがないじゃないしバランス悪い」というコメントもありますが、これは「フェアな名盤リスト」ではなくて、あくまで私がCDを持ってて、かつあげてもいいものからセレクトしたという、かなり偏ったリストです。なので当然私の好みも入ってます。逆に、買ったものの私自身はそれほど好きになれなかったけど世間的には名盤扱いされてるから一応入れておこう、なんてのも混じってます。

超名盤なのにリストにないものは、私がキープしてる、先方が既に持ってる、データでしか持ってなかった、あまり好きじゃなくてCDで持ってなかった、のいずれかだとお考えください。

※ 小学生にあげたリスト、ベストよりもオリジナルアルバムの方がいいのでは、というご意見もあったのですが、そうするとスゴい枚数になって相手も余計に困りそうなのと、ベストで興味持ったならオリジナルは是非買ってね、という意味を込めて、最小限にしました。

あげた後に聴いたのですが、小学生くんはストリーミングも併用してて、気に入ったらお小遣いでCDを買う、というちょっと変わった行動をとるみたいです。

それを聴いて、あーやっぱりオリジナルアルバムは自分で買ってほしいからベストアルバム中心にして良かった、と思いました。「といいながらオリジナルアルバムもあるやん」というツッコミもあると思いますが、ある程度勢いで選んでいるところもあるので、そんなに一貫性はありません。

※ タイトルの「捨てたという表現が不適切」も指摘として割と多かったですが、そう思われたのだったらすみません。

仕事柄ブログのタイトルは最後の最後まで何案も考える癖があって「処分する」「手放す」という表現もあったのですが、やっぱり一番しっくり来たのが「捨てる」という強い言葉だったんですよね。

どなたかが意図をくみ取ってくれてますが、モノとしては「手放した」「譲渡した」「買い取ってもらった」ということなのですが、気持ちとして「過去の自分を捨てた」という感覚が強くて、だから「捨てた」という言葉がしっくり来たというのがあります。また、色々書いてますが、当然未練が全くないわけでもないので、あえて「捨てた」という強い言葉を使いたくなったというのもあります。

あと、しょせん無料公開してる個人ブログだし、なにより私の所有コンテンツだし好きなようにタイトル付けてええやん、という気持ちもあります。そんなこんなで、このタイトルという判断です。(なので変更なしです)

※ 「レコファンステマですか?」と書いてる人いましたが、ステマじゃないですよ!

見出しがあってメディアっぽくて手馴れてる、6記事しかないブログなのに異常にシェアされてる、これはステマ確定、というすごい推理を書いてる人もいますが、一応ネット系の仕事をやってるので、その辺のブログよりフォーマットはかなり洗練されてると思うし、ネット特有のコンテンツの拡散のさせ方には長けてると思いますよ。

なんかこういうコメント読んで、今は普通に心の底から良いなと思ってお店とか紹介しても「ステマじゃん」って言われる時代なんだな、と思ってちょっと悲しくなりました。そういう状況を作ったステマ業者が一番悪いんですが、勝手に想像して決める付けるのも良くないのではないでしょうか。

レコファンさんの迷惑になるようだったらリンクとか電話番号とか名前とか外そうと思いますが、多分役立つ人の方が多いと思うので、今はまだ残しときます。

※ 「音楽が好きな人を逆なでする文章」「CDで聴く人を馬鹿にした文章」というコメントもいくつか見かけました。私自身がCDにまみれた人生を送ってきたわけで、過去の自分自身を馬鹿にする文章を書くわけがない、というのは普通に考えれば流し読みでもわかるかとは思いますが、バイアスが強くかかって思い込みありきで読んでいるとそう判断してしまうかもしれません。

私は仕事柄、ネット上でよく見られる反応をパターン化して理解していますが、ある人が「私は●●です」と主張すると、別の人から「それは●●じゃない人に失礼だ」「●●じゃない人を馬鹿にしている」という反応が出るのは、典型的なパターンの一つです。あくまで「私は」の話なのに、それを「お前は」に置き換えて読むというパターンで、自意識が強い人などに特に見られる傾向かもしれません。

もちろんそれに配慮するという考えもありますが、ネットで頂いたコメントの大半は好意的な言葉で、いつもよりやや多いとはいえ基本的にはやはりノイジーマイノリティですし、それを気にしていると個人の情報発信なんてできません。

またそうやってどんどん角を取っていくとコンテンツの訴求力が落ちて本当に読んでほしい人にさえ届かなくなったりします。そういう反応が出ることは織り込み済なので、この記事ではあまり配慮していません。(こうやって一応見解だけは追記で述べますが)

またあくまで「私の考え」としては、ネット上で個人が発信している情報なんて多くはそんなものだし、それを見てイライラする人はそもそもネットでの雑多な情報収集に向いていないのではないかな、と思ったりします。余計なお世話と思いますが、自分がコントロールできないことに感情を高めてイライラするより、もっと自分に直接関わる他のことに意識を向けた方がいいのではないかな、などとも思ってしまいます。

※ 「ようするにCD売ったってだけの話だろ」「ようするに奥さんに捨てろと言われて捨てただけだろ?」という批判もいくつかお見受けしました。コンテンツを読んでどのように判断するかはその人の自由ですが、個人的にはなんでもかんでも「ようするに」と単純化して判断するのは、物事の受け止め方としてよろしくないのかな、という気がします。

様々な手法や考え方が溢れている現代は、結論や総論だけ見ると画期的なものは非常に少ないです。しかしそれでも多くの人に読まれたり、支持されたり、共感されたり、ということが起こります。それはなぜか?と、総論ではなく、文脈や時代背景なども含めて複合的に考えるから、その情報に触れたことによる学びになるのではないでしょうか。今はそういう時代ではないでしょうか。

純化した総論や結論だけに目を向け、それを浅く理解して反射的に感情的に反応するという、そういった短絡的な捉え方ばかりしていると、情報処理能力がどんどん落ちていってやがて時代についていけなくなるんじゃないかな、などと思ったりします。これも余計なお世話だとは思いますが、最近よく思うことです。

※ 音楽業界にいらっしゃると思われる方々やマニアの方々から「浅い」「中身がない」「薄っぺらい」と総スカンを食ってるのをつい見つけてしまい、少し読んでそっと閉じたのですが、別に分厚さで勝負しようとした記事でもなく、上記で書いたとおり、ただ個人が経験して思ったことを書いただけ、同じようにCDをどうするか迷っている誰かの役には立つんじゃないかな、と思って投稿しただけ、それだけの記事なんですけどね。

やっぱり音楽の世界って色々と難しいなぁ、一個人の体験を投稿しただけで自分が批判されてると解釈したり、憎々しそうにコイツ呼ばわりされたり、攻撃的なコメントしたりする人が多い世界なんだなぁ、ということを再確認できました。

こういうのは音楽の世界だけでなく、異分子、新参者、未知の人や技術に対して、中堅ベテランやマニアが抵抗を示すのは本当に様々な業界でよく見かけることです。

そういえば本日もこんな記事を見かけました。

tablo.jp

また、メタップスの佐藤航陽さんもこんないいことをおっしゃっていました。

このブログは要約するとCDをやめてストリーミングにした、というだけの話なので、その行為自体は特に目新しくも何ともないですが、その出会いから別れまでを長々とブログにまとめたのは珍しいことなのかもしれません。内容になんらかのフックがあったから8割以上の方は好意的なコメントとともにシェアしてくれたのでしょう。

「浅い」「中身がない」「薄っぺらい」というのは、抵抗勢力型のベテランやマニアが用いる典型的な言葉で、テンプレートといえるものです。主観的で理由もなく誰でも言える意味のない言葉です。言葉で説明できない強い反発の感情を抱くと、人というものは理性を失ってこういう意味のない言葉を使いたくなるのかもしれません。

音楽の世界にはこの辺の傾向は強く感じます。もちろん傾向なので、これが全体とは思いません。昨日はあるベテランミュージシャンの方から「とても面白かったです。反発もあると思いますが、私はブログが更新されるのを楽しみにしています」とのメッセージをいただきました。反応は人それぞれだと思います。

マニアは素人なので仕方ないとして、本来理性的であるべき業界ベテランが感情的な抵抗を示しても何も変わりません。情報発信をしている普通の人は、それを読んで凹んでブログ書くの止めるだけでしょう。その様子を見た普通の感覚の人も「音楽の世界は怖いな、閉鎖的だな」と委縮したり、悪い印象を持ったりするだけでしょう。一方で共感しあうムラの結束力は高まるのでしょうが、ムラが水没しようとしている時に固まり合うことが果たして得策な行為なのでしょうか。

価値観の合わない人を排他するために、意図的に公の場でそのような言動をされているのだと思いますが、感情の赴くまま排他的な姿勢を不用意に見せること、あるいはそれを見せてもいい、プロでも率先して叩いてもいいという考え方が、時代と乖離していく大きな要因、業界を沈下させる原因になっているように思えてなりません。

もちろん私は音楽業界とかのしがらみも特にないアウトサイダーですし、お前が言うな、余計なお世話だ、と思われるだけでしょう。私は私でそんな傾向は分かってて、一般的なマニアや業界とは距離を置いた立場でこのブログを運営しようと始めたので特に驚くべき出来事でもありません。

ただ、今後のブログを書く姿勢について一つの確信に似たものを持つことはできました。そういう意味では良い経験ができました。ありがとうございました。

※ 本ブログ、2018年5月第2週のはてなブログランキングで1位をいただきました。お読みいただいた皆様、ありがとうございました!

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